むかし、佐賀県の玄海町で、原子力発電所に勤めていたことがある。巨大プラントであった。タービン廻りなんていうのは、気温がゆうに40度〜50度近くあり、灼熱の労働環境だった。それを考えると、エアコンのきいた部屋で仕事ができるのはほんとうにありがたいと思う。
あたたかい廃液が海に流れていくと、その温度差と光に誘われ、いかがよってくる。それを釣り上げて、刺身にして食ったりしていた。いかの体が透明で、歯で噛むとさくさく切れるのである。いかの刺身を店なんかで食っても、発電所のいかよりうまいいかはいまだ食ったことがない。生簀からすぐ下ろしたいか刺しなら同じ味もするのかもしれないが。
原子力発電と言ったって、炉心にウランの棒がささっているだけで、他は火力やガスの発電所と同じであった。使用済み燃料ピット(SFP)という減衰していくウランをつけておく池みたいなのがあって、夜な夜な見回りに行くと、電気もつけていないのに青白く光っているのが不気味であった。
今もあの場所で、電力の社員やプラント請けの人たち、そしてさらに孫請け会社のたくさんの労働者が働いているのだと思うと、妙な気持ちになる。
また時が炎を消す効果を期待しつつある。妄想とプログラムが交互に熱したり冷やしたり。あきらめムードはかなり高まっているよ。ていうか、健康的な考え方をしたい。そして、気楽に楽しい生活を送りたい。生きるバランスがほしい。
いまや、出ないパチンコ屋でねばる必要などないのだ。なにか、くるっと反転するまで、もうあと壁ひとつという気もしているのだが……。
きょうも感じたのだが、ぼくは人生を出直してから、いつも好意的な仲間に囲まれて生きて来れたという気がしている。そこでベクトルを自分の側向きから、自分の外向きにくるっと回せば、それだけで解決がはじまるのだ。
最近当該の話をしてもしても、ベクトルが自分向きな限り、どうしても突破できないのだ。答えが見つかるまでもう少しである。すでに答えは目の前に提示されているという気もするのだが。
区民会館でセミナーがあり、聞きに行った。仲間の体験は力である。この仲間も50歳過ぎてから再婚したんだっけ。
あと、今日は親の話をする仲間が多かった。生まれてから現在までの履歴は、自分の棚卸しに不可欠の部分だ。最近はあまりそういう話をしてこなかった自分に気づく。
きょうは世田谷に始まり、世田谷に終わる一日だった。せたがやたがやせ、だね。あんまり同じ文字を何度も書いていると、ゲシュタルト崩壊しそうな感じ。
明大前はいろんな思い出がある。ぼくの20代後半と30代前半。落ちて行き、そして持ち上がってきた記憶。
ニュージーランドのドルが1ドル70円を切った。底値かも。いや、為替は生き物だから断言はできないのだが。買い時かもしれないが、だいたいの流動ものは投資してしまって、いまあまり手持ちがない。定期に入れてしまうと、こういうチャンスを逃すということだね。
平成元年のブリーチ以来なので、実に17年ぶりの脱色挑戦である。美容院で一気に抜くと仕事に支障が出る(ような気がする)ので、マツキヨで買ったメンズパルティだ。スプレー式で、日々少しずつ色を抜くのである。「ここまで」と思ったらそこでやめられるし、さいきん残念ながら白髪が目立つので、全体を薄めれば、相対的に目立たなくなるだろうとか、そういう狙いもある。
4/29のヨコハマの件から、自分の中で眠っていたさまざまなものが目を覚ましているように思う。
高校生のときにはじめてTVで見た忌野清志郎。それはザ・ベストテンの映像で、坂本龍一とのセッションだった。そのフル映像が、なんと今ネットで流れているではないか(いきなり音が出るので、会社で見てる人は注意してね)。これは必見だね。そして、どうも保存できないようなので(flash?)、サイトが閉鎖されたらそこまでだね。
清瀬・成増というコースが固定してきた。間に池袋での時間つぶしを入れる。きょうは成増のマクドで過ごした。休日の昼下がりだというのにガラガラ。月島とはえらい違いである。
福しんでラーメン食べて帰宅。休日ははや過ぎ行く。
われわれの共同体の扉をたたき、新しい人生を始めてから、わたしは「キヨシ」と名乗っていた。約10年それを続けた。
そして2004年2月から2年4か月の間「森田」と苗字を使って名乗ることにした。理事会に◎◎清(きよし)さんといういう人がいて、混同されるのもなんか嫌だったし、第9回全国評議会で日本のゼネラルマネージャーが「【ニックネーム】はあるが【アノニマスネーム】というものはない」と明言したのもきっかけになったのである。グループでも一・二年で新しい仲間がたくさん来たし、わたしがかつて「キヨシ」と名乗っていたことを知らない仲間も多くなってきた。
しかしながら、ここで名前をまた「キヨシ」に戻してみた。どっちやねん、と思われる方もいるだろう。どっちでもいいのだが、どっちでもいいということをあえて知らせたく、戻してみることにしたのだ。
ネット社会などではハンドルネームを使うのは伝統的な手法だが、われわれの新しい生き方の中でもこれを使っていく。単に匿名ということだけではなく、謙虚になることや、自分の願いさえ、名前の中に含まれていることがあるのだ。
asahi-netのインフラを解約してメールアドレスだけ維持し、今日からは接続はWillcomのADSLである。モデムが届き、開通した。定額プランと同時契約なので、とても安い。PHSの基本料とメールも定額やり放題+3MbpsのADSLで4785円というのは、格安なのではなかろうか(料金表・最下段)。携帯電話だと、基本料だけでこのくらいの値段になってしまうのでは??
一人カラオケを初めてやってみた。新鮮な感動もあったが、やっぱし変だよね。自己憐憫モードが続いている。そしてまた週末。
しらふで新しく、いろんなことを経験してみて、そして自分を知る。こうしたほうがよいということがだんだんわかってくるのだ。すごいプログラムだねー。そしてここからが重要なのだが「こうしたほうがよい」ということと「こうしたい」ということが違うのである。頭ではわかるんだが……という、例の悩ましい葛藤だね。「止めなくてはならない」のが「やめたい」に変わらなくては扉が開かないのだ。これはあらゆる問題に当てはまるのである。仲間の手助けにより、自分のことを正直に書いて、そして話し、自分を変えていこうという努力をした。それでも自分を変えたくない、あるいは古い考えを使いたいという頑固な自我が立ちはだかったとき、さて、わたしはどうすればいいのか??
ここへきて、また底付きを体験する場所にやってきたと思う。理論ではなく、体験である。とてもそういう流れを感じている。とろ火になって鎮火したに見えても、まためらめらと行く手に炎が上がり、電車から見える景色もポストも真っ赤な色に映えている。まさに漱石の「それから」だ。1と7のステップがつながっていると仲間が言っていたのを遠く思い出す。かごぬけするうさぎを追って、わが身を濁流の中に落とし瀕死の重傷を負ってみて、やっと目を覚ますのか。自分の背丈がどれくらいあるのかを知らないと何もうまくはいかないし、配られたカードで満足はしないだろう。飲み込むのに困難な謙遜を、取り込まなくては前に進めないのだった。
水曜日は授業が目白押しな上、きょうは不規則労働がたくさん発生していた。わたしにしては珍しく、20分近くも時間外でサービス残業。こんなこと、絶対にしない人間だったのに……。ま、いろいろ考えたくないこととかも、たくさんあるので。
仕事とミーティングの間に、高円寺の1100円カットで散髪。スポーツ刈り以外を注文したのは、10年ぶりくらいか。最近こういうの多いね。
おそらく国内では外貨金利が最高水準であり、為替手数料も格安のソニー銀行に口座を開設した。無店舗なので、コストがかからないのであろう。通帳すらない。ネットでほとんどを済ませられる銀行である。決済には向かないが、預け入れはUFJや三井住友で無料でできるし、投信などもラインナップが揃っている。
ここへきて、身辺整理か。明日死んでもいいくらいの気持ちで、今日を生きていきたい。
福岡で仲間と分かち合い、小倉で感傷にひたりきってみる、そんな旅であった。
小倉では実家には向かわず、出身高校のそばを散策。折りから激しい雨。絶好の自己憐憫ムードである。
高校への通学路の踏み切り、生徒会で使っていた建物、補習科の予備校、デートで使った喫茶店。どれもみな、当時のままであった。もう20年以上経っているというのに!
振り返れば振り返るほどに、失われた時間のことに想いが募り、ますます哀愁が高まるのに、なぜにこういったことへ駆り立てられるのだろう。まあ、やりたいだけやってみて、もうそこには何もないということがわかっただけで、十分な収穫といえようか。
そして明日からまた、現実の生活に戻るのであった。
まあ、われわれの仲間内でやる合宿と交流会みたいなものである。福岡の志賀島のそばにある「海ノ中道」というところに行って参ります。心中複雑な想いもあるのだが、きのうホームグループで話したとおりである。ま、しかし、仲間は財産、行ったら楽しんでこよう。今年になって飛行機に乗るのは3月の山口以来二回目。
ご飯の炊き失敗を「ごっちん」と呼んでいたのは、小倉だけだろうか。今朝、お釜を開けてみたらそうなっていた。ただ単に「炊飯」スイッチを入れ忘れ、夜中じゅう保温動作をつづけていたらこうなったのである。一人暮らし20年の中でたぶん二回目。すぐ捨てて炊きなおしたが、たまたま仕事のない日だったのでよかったようなものの、ふだんだったら落ち込んだだろうなぁ。もちろん今もちょっと鬱だけど。