仲間と一緒に基本テキストなどを読む、というプログラムを月一で半年くらい続けている。きょうは第一レガシーについて・第六章・第七章(一部)。最近知るようになった「高速step実行プログラム」でもある。もっとライトに、そして何度も繰り返しやるのがコツらしい。
しかし、まあきょうはあまり状態が良くなかったせいか、今一つな感じであった。しかし「調子が悪い」というのは神様の与えてくれるたまものである。何かを変えねばならないというサインだからだ。そしてこの苦しみは、貴重な試金石でもある。
そのまま夕方はミーティングへ行った。喋らせてもらえたんだけど、やはり歯切れワルシ。パスでも良かったかな。帰りは初台からバス。渋64。
きょうは自分が地獄に落ちる番である。ああ、それにしても何も入っていない日ほど、不自由なことはない。不思議だ。拘束がないほど動けない。
それでも朝はさっさと洗濯をして、シーツまで洗って、10:30にはもう昼飯を食べに外へ出ていた。あれも「洗濯」という儀礼がなければ、きっと外出もできなかったに違いない。
いまごろは大塚で地区委員会が開かれている。新グループがまた誕生という話である。
昨日も今日も西武新宿線を使った。朝は東西線より混んでいる。夕方は野方まで行き、環七沿いに高円寺まで歩いてみた。環七では関東バス・都営バスなどが、びゅんびゅん追い抜いて行った。
夕方、高円寺の宮下湯に突入。今どきは一回400円ですか。13年前でたしか270円だったと思った。注目の体重は2.5kg増。たばこをやめた影響と思われ。
時間がなかったし、言語化できず。お茶も行ったが今一つ。考えてみると、サービスの話をする人が一人も廻りにいないのであった。
ああ、わたしのことかね(笑)。昨日くらいの勢いだとまあまあ、世界に対して挑戦的になっても不思議ではなかったね。いつもの自分だったらこのあたりで「なかったこと」にしたくなって、具体的には「削除」してみたりするんだけど、今回はそれもなし。ありのままでよろしいです。病気なので。ノイローゼだしね。
仲間に支えられているという実感がやっぱり、一人でもいいからほしい。きょうは夕方それがもらえたような気がしたの。それはそれで、とても大切なつながりなのでした。わたしはきっと今、この関係性の中で唯一生きているのだった。それがわかったの。わかったのさ。
苦しいねぇ、生みの苦しみ。謙虚の仮面。正義の放棄。9年毎日歩け。来ない仲間は仲間じゃない。たくさんアフォリズムが埋もれてるなぁ。でもこの中でこそ、いろんなものをもらい、そして手渡して行くことができるのだった。
そして12番目のステップ活動をおろそかにすると、われわれは確実に死ぬのである。ああ、おそろしや。サービス活動は省略できぬ。あいやー。
ミーティングもサービスも、質より量だ。これだけは確かみたいである。
きょうも実は市ヶ谷で会議だったのだ。ああ、ミーティングへ行きたい。行けるのに行かないおまえらー、地獄に落ちるぞー。
こういうのが、いいこちゃんの自分の本音ってとこだね。他罰的で自罰的で、ああ、生きるのつらそう。他人事みたいに言うなよ。
考えてみると(振り返ってみると)、時間的なストレスのほとんど無かったときって、週3,4回のミーティングで、もう十分と思っていたし、土日もどこにも行かなかったね。そんなもんだろうなぁ。
きょうは思ったより寒くなかったので、帰りも楽でした。定期が切れていて、営団回数券で帰宅。ひさびさに中野坂上駅利用。
あまり調子が良くないなぁ。ほとんど他の人々を恨みながら生きているという感じだ。感謝の気持ちもあまり生まれてこない。なぜみんな物質的なものを大切にしすぎるのだろう。すくなくともぼくにはそう見える。
迷い、苦しみ、妥協しながら、今日一日のミーティングを犠牲にする。そうしながら何年も働いてきた。これでみんな平等だなんてなったら浮かばれないよなぁ。これで「あんたは恵まれている」なんて言われたら、それこそ投げ出したくなるよなぁ。神様は正当に配分してくれるはずである。
ベーシックっていう感じ。われわれのスタートはいつもここにある。今日一日に始まり、今日一日に終わる。確実にできることはそれだけ。珍しく、思い立って、仲間と誘い合って向かった。東上線の各駅停車。
この寒気、一体いつまで続くのか。彼岸までか。来週はもう彼岸だぞ。花粉の方がまだよい。
ふつうの企業の人たちにしてみればさしずめ休日出勤のようなものですな。もちろん無給れす。市ヶ谷事務所。
長い長い会議でした。自分の作っていった資料もプレゼン。最近はっぴょー時によく汗が出ます。発汗発作っていうくらいよく出る。毛穴の動きが良くなったのかなぁ、禁煙のせいで。そうそう、禁煙記録が間もなく一ヵ月です。やれるもんだ。
夕方に会議終了。職場の人たちとずっと過ごして、あの市ヶ谷の左内坂で解散すると、まるで平日のようだ。まだ17:00である。最安で世田谷Gに行く経路を取ろう。ああ、こういうのが楽しい(笑)。
麹町まで定期がある。渋谷に出ても営団で160円。代々木公園でも160円。駒場から明大なら京王電鉄を初乗りで行けるのである。代々木公園まで乗車。そして富ヶ谷から東大裏を通り、駒場へ。裏門のすぐ横に狭いラーメン屋。ほんとに狭い。客三人で満員だ。入ったのはたぶん15年ぶりくらいと思われ。醤油ラーメン550円も当時と変わっていないと思われ。
目論見通り、初乗りで明大前へ。10円安くするのに歩いといて、ラーメン食ってみんなご破算だ。倍率55倍。でもそうは考えまい。電車賃の10円単位の節約と、消費の数百円は全然別物なのである。
新宿からの定期券が今ないのをいいことにちょっと贅沢。新宿から関東バス野方行きに乗る。宿05。中野1丁目で降りると、自宅まで歩く距離が最短(4分くらい)なのである。すこししあわせ。コート来て行けばきょうはもっと幸せだったかも。気温が毎度読めないのだ。あすこそは予測して動きたい。
昨夜の合議により、BB読み合わせのプログラムを中止。体調が整ってからでもいいね。一日空きがあるとずいぶん精神的に違う。
嘘みたいに暖かくて良い天気。ここ数日の震えるような寒さが嘘のよう。花粉はかなり飛んでいるみたいだけど、自分は免疫できてるみたいだし、目がちょっとかゆい程度。
午前中、軽く散歩に出かける。といっても贅沢に電車使って近郊歩き。東中野→落合南長崎。駅を出るともういきなり方向感覚が狂う。地下鉄から大通りにでるといつもこうだ。なんとか地図を見ながら西武池袋線の東長崎に向かう。すこし距離がある。学生のころに椎名町・東長崎・江古田というのは先輩が歴々と住んでいて、よく酔っ払ったまま迷い込んだ小路だ。だからほとんど記憶もない。
東長崎から椎名町まで電車に乗る。ひと駅。椎名町を降りてみると、駅前の商店がどうも火事で燃えたあとみたいだった。すぐ横に踏切。踏切の横はトンネル。トンネルの上は環六。西武文化圏ってどこも踏切より上に道路があったりして、道路の方が偉いことが多いように思う。
丸山営業所始発の関東バスに乗って新宿へ。今は「ケイビーバス」っていうみたいだね。いわゆる椎名町系統だ。下落合の踏切も通過。こうしてみると新宿線と池袋線ってものすごく近い。交差しそうで重ならず、結局所沢まで泣き別れ。
新宿で昼の歌舞伎町を歩いてみる。北島三郎がコマで講演みたい。すごい行列ができていた。風俗街も最近すごい。需要に敏感な世界だなぁ。
西武新宿駅のそばのドトールでお茶飲んで休憩。そのまま中井まで西武を使ってしまった。また都営で東中野に戻る。半日楽しかったです。
昼過ぎに自宅に戻ったが、暖かくてなんだか幸せな感じ。しかし少しずつ眠くなってくる。自然界の法則のようだ。夕方まで大したこともできない。ていうか、何か生産的なことをしようという気になれぬ。風邪気味なのを押してたせいもあるかも。
夕方になり、ここが勝負!という岐路に立つ。そんなに大げさなことでもないんだが、仲間に会いに行くか行かないかのわかれ目である。ご飯を食べて、シャワーを浴びてしまえば、もうきっと出られない。逆に、歯を磨いてさっさと外に出れば、そのままプログラムに乗っかれる。この選択の「とき」をこれまで何度味わったことか…。
きょうは結果的に出かけられた。そして、残された今日の数時間の気分が、これでかなりニュートラルになるのである。一日に感謝しつつ。
忍耐し続けていたが、今朝の体調を見て、休暇行使。風邪で休み。でも熱は無いのでつらくはないのだ。夜のプログラムもきっと出かける(きょうはイレギュラーで神奈川にゲストスピーカー)。
洗濯をして、昼過ぎにちょっと買物に。すごい雨。まるで雨が嫌で休んだと思われても不思議ではないような、そんな冬の冷たい雨だ。中野までご飯食べに行くつもりだったが、やめてスーパーで買物して帰ってくる。物事を中止して帰ってくることができるようになったのは、ごく最近のことである。
休暇を取ると、まあ当たり前のことなんだけど、まるごとみんな自分の時間になるし、中止・変更、何でもありとなる。「時間が無くて、○○ができない」という言い逃れもできないね。まるごと目の前に用意された24時間。
昼寝したくなるし。
予定通りゲストで本厚木まで。小田急は通勤時間帯はほんとに遅い。ダイヤに欠陥あるね、あれは。自転車並みの遅さとは良くきいてるけど、登戸前後では川の上で止まったりしていたよ。
ともかくも、町田を越えていくのは距離があるね。なんかなつかしい駅をいくつも通る。世が世ならあのあたりに住んでしまいそうなところであったのだ。
海老名で相鉄線の横浜ゆきがとまっていたのが印象的だった。何度か相鉄には乗っていて、自分の射程範囲の鉄道路線になったということかも。
招かれたグループで話をさせてもらい、ミーティングは終わった。地域サービスで良く会う仲間がたくさんいた。彼らの話も聞きたいところだった。また今度機会があったら。こういうのがまた次につながるんだろうという気がする。