忍耐し続けていたが、今朝の体調を見て、休暇行使。風邪で休み。でも熱は無いのでつらくはないのだ。夜のプログラムもきっと出かける(きょうはイレギュラーで神奈川にゲストスピーカー)。
洗濯をして、昼過ぎにちょっと買物に。すごい雨。まるで雨が嫌で休んだと思われても不思議ではないような、そんな冬の冷たい雨だ。中野までご飯食べに行くつもりだったが、やめてスーパーで買物して帰ってくる。物事を中止して帰ってくることができるようになったのは、ごく最近のことである。
休暇を取ると、まあ当たり前のことなんだけど、まるごとみんな自分の時間になるし、中止・変更、何でもありとなる。「時間が無くて、○○ができない」という言い逃れもできないね。まるごと目の前に用意された24時間。
昼寝したくなるし。
予定通りゲストで本厚木まで。小田急は通勤時間帯はほんとに遅い。ダイヤに欠陥あるね、あれは。自転車並みの遅さとは良くきいてるけど、登戸前後では川の上で止まったりしていたよ。
ともかくも、町田を越えていくのは距離があるね。なんかなつかしい駅をいくつも通る。世が世ならあのあたりに住んでしまいそうなところであったのだ。
海老名で相鉄線の横浜ゆきがとまっていたのが印象的だった。何度か相鉄には乗っていて、自分の射程範囲の鉄道路線になったということかも。
招かれたグループで話をさせてもらい、ミーティングは終わった。地域サービスで良く会う仲間がたくさんいた。彼らの話も聞きたいところだった。また今度機会があったら。こういうのがまた次につながるんだろうという気がする。
過去にこうであったというひどい話は、飲んでいたのだから仕方がないという言い逃れもできるが、しらふになって現在進行していることなんかは、とくにたくさんのスポンシーを前にして、言いたくないのであった。でもそんなときに限って「では最後、キヨシさん2,3分ですがお願いします」などとやられてしまう。これは仲間の恣意というよりも、神様が白状しろと言っているようなものなのであった。
でもまあおかげで心はずいぶん軽くなり、そしてまた来週につながるのであろう。ぼくの無力な毎日は、まあこんなものである。だからなるべく仲間に相談してから次に進むことにしたい。
組合の仕事で群馬県へ。春闘前段集会だが、東京の組合員がこんなに地方都市に結集したのは初めてではないかと思われる。約160名。社前集会ののち、屋内集会開催。都内ではよくある集会だ。
ゆきは時間があったので、とろとろと四時間かけて東武伊勢崎線を利用。久喜、太田、伊勢崎、ともに乗り換え時間が2分しかない。結局一度もトイレに行かないまま前橋に着いた。膀胱炎が心配な路線だ。ていうか、長距離なら有料特急に乗れよ、っていう話か。
集会終了後、ちょうどいいタイミングで新前橋の上州グループで仲間の分かち合い。数名の穏やかなミーティングであった。でもちょっと内容に???な点も。それはどこの会場でもさまざまな仲間がいるので、まさにグループを代表した意見ではないということで、持ち帰りたいもの以外はその場に置いていくということで。
帰りはスタンダード路線で、JR高崎線利用。新前橋→高田馬場区間で、浦和でいったん降りると150円安くなる分割乗車を実施。伊勢崎線よりははるかに早く帰って来れたが、自宅に着いたのはもう23:40頃だった。
土曜日は本郷や西大島で仲間と過ごし、伝統の分かち合いなど。日曜は仲間のお祝いのミーティング、そして新しい仲間の歓迎アフター。いろんなことをやって帰宅できたのは、土日ともに23:00を過ぎていた。目いっぱいやれている気がする。自分でも疲れているのだから、まだ数年の仲間たちはなおさらだ。ハードな時間とゆったりした時間の緩急のリズムもなかなか心地よいのだが、メンバーへの配慮も必要と少し思う。
日曜のミーティングは古い仲間の司会で進行。当時からいる人が二人だとおっしゃっていた。ぼくも目測でずらりと並んだ仲間を数えてみたら、自分がつながった頃からいた仲間が六人。しかもつながったあの国分寺の会場で当時30代だった仲間が自分も含めて四人! 全体的なレベルから言うと、すごい生存率である。
気温は一気に下がったこの土日だったが、仲間との分かち合いの暖かさであまり苦にもならず。また平日に戻って活動である。