喉にきている。でもまだ微熱でしかないので動ける。動けてしまうのがやっかいなところ。仕事には普通に行った。そして夜、組合の役員会議。すこし早めに終わった。ダブルヘッダにせず直帰。
学生や講師がこないので昼飯をスーパーで買ったりしている。どうも買い過ぎて食い切れない場合がよくある。見通しが甘いのだ。そして夕方食ってみたり、家にまで持ち帰ったり。
久しぶりに外食した。帰りがどうなるか読めないときは炊飯をセットせずに朝出かける。でもふだんはほとんどセットして出発。そうするとほぼ毎日自炊である。
二日連続で仲間に会えなかった。何日続けて会わなければ飲むことになるのだろう…とか時々思う。一ヵ月くらい空けても平気な人もいるようだ。いやはや。でも自分には真似できない。
仕事というのは、金を得るための手段。そして時間の切り売り。不本意なことをする引き替えに対価を得る。…とそう考えているうちは幸せになれないらしいが…。でもそうだなぁ。忍耐とトレーニングの連続だ。打たれ強い「なめしがわ」みたいに叩かれながらずっと続けてくもの。耐えていく。どんなに無駄骨で徒労の連続でも。だからここで終身雇用制が突然打ち切られたりしたら、われわれは浮かばれなくなるのである。年功序列賃金もあるからこそ、投げ出さずに続けているのである。アメリカナイズが何でもいいわけではないよ。
春闘に向けての統一行動日。九段の某新聞社前の集会に始まって、神保町をデモ。あー酷寒。微妙に風邪引いていたんだけど、これで確定という感じかな。
終わってから高円寺に向かう予定を組んでいたのだが、JRお茶の水駅で時計を見たらすでに19:30。諦めて帰宅。結局優先順位の低いものから順番にやっていく結果となった。時間的に優先順位の高いものほどあとにあるときって一番厄介ですな。きょうはまさにその典型でした。
さすがに明日は休暇を使いたいところ。でも熱でも出ないことには休めないのです。これは自分の厳しさ。(だから人にもそれを要求する、という話もある)
その時々に応じて、必要なものはすべて与えられているようである。そういう風に思えるときは良い感じのときである。実際今夜なんてまるでそういう感じだった。必要なときに必要な仲間。グッドタイミング。
まだ3月だよ。でも来年のことをいろいろ考えている。理事の選挙も今年あるだろうし。間をおいたらもうきっとやれそうにないかなとか。このままグループのことをふたたび始めるのもいいかも。
最近はどうもダメな感じ。良い考えが浮かばない。
おこないの伴わぬ信仰は死んだものである。行動あるのみ。反復は信仰に変わる。量は質に変わる。逆は偽なり、だ。
近頃、あまり詳細にここに書く気がしてこない。書けないことも多いのだけど、みんな世界が既に違うという変な諦めも多いのである。おそらくはわかりあえないであろうという絶望的な感じ。われわれは共通の経験の上にこそ立ち、そして共通の話をするはずだのに、どうも孤立が進んでいる気がするのだ。やればやるほどそういう感じになる。
でも必要なことはし続けて行きたい。そして続けて行かないと、われわれは死を迎える??はずではないのか。
最近なんかあまり夜更しできないのだ。22:00台に寝てしまうことが多い。23:00台に寝る仲間が、蔭でコテンパンに批判されているのを聞いてぞっとしたことがあったが、それよりひどいね。でもしょうがないじゃん。眠いんだし。
毎朝7:00に、あるいはもっと早く起きなくてはいけないならば、24:00前に寝るのはごく当然という気がする。まあ睡眠時間の短いことを無根拠に自慢している人種もいるので、それはそれでおつかれさま…というしかないが。
神奈川の最南部の地区委員会に出席。評議員4名。このあたりは関東の南だが、各県各地区みんなつながっているという感じがする。
夜の締め。話をさせてもらうことができた好運。ちかごろの自分の中での問題も、そろそろ決着つけないといかんなぁ。神様が望んでおられるのは一体どのような方向なのか。
地区でのメッセージで清瀬へ。多摩はもともと気候が厳しい上、きょうはとくに冬の雨。帰りは仲間の車に乗せてもらって楽だった。だが、日頃暮らすには、少々不便でも、町中よりはよいかもしれない。
やりおおせたように思う。組合もやりおおせた。でも自分のプログラムはどうだったか。ここのところ調子が悪い。でもきょうも仲間の話の中にたくさんの答えがあった。
満足できるものばかりではないが、不完全ながらでも「それでも日々は過ぎて行く」という感じ。すべてではなくとも、必要な範囲で生きているという感じ。
寒い二月も、もうあと一日。きのうあまりにも暖かかったのできょうはコートを着ないで出かけたら、またまたひどい目にあった。こういうのが今年は多いです。暑さ寒さも彼岸までというから、もう少しの辛抱だね。
手に入っているものの価値は見えなくなるし、いまだ掴んでいないものは欲しくて仕方がない。こういう病的な考え方というのはずっと長く改善し続けて行かないと、変化しないんだろうね。そして、人の姿を見ていると、誤解に誤解を重ね、まるで表面しか見てない自分。話を直接してみたりすると誤解だということにも気づけるのにね。
興味の無いものは興味が無い。まともな生き方を熱望するあまり、無理にまともになろうとしていたところもあったのである。だが、日々の生活がタイトになってくると、もう、そんな無理などしようとも思わなくなってくる。欲しくないものはいらない。それだけである。そして、人が持っているように見えるものは妙に欲しい。そんな強欲の果て。
● ami16 [僕も風邪です、空咳が止まらず肺が苦しくてたまらず休んでしまいました。この時期3〜5月頃は本当に弱い・・・。]