その時々に応じて、必要なものはすべて与えられているようである。そういう風に思えるときは良い感じのときである。実際今夜なんてまるでそういう感じだった。必要なときに必要な仲間。グッドタイミング。
明日の夜から京都入り。パパと水入らずである。父は72、この息子は39。今回の主目的は、われわれがこれから入るお墓というか納骨場所を手配することである。西本願寺なんてすげぇ金取られるんじゃねぇの??と素人考えでは思うのだけれど、輪をかけて倹約家なわが父が自ら提案してくるくらいだから、何か名案があるのに違いない。ていうか、いつきたるかわからぬ納骨の日なんかは実はどうでもいいことであって、何か口実をつけて、けっこう歳のいったこのパパと息子が、まったりと時間をかけて一緒に過ごすことが重要なのである。縁起でもない事だけど、だってもう次があるかどうか、保証はないのだから。
「8:15に京都駅に集合。な?」と言われてしまった。午前でっか。ちょっと早杉。だから、明日の夜のうちに行かなくてはならなくなってしまった。倹約家なパパは、なんと北九州から船でくるらしい。二等で雑魚寝は、あんまり70代の人のやることじゃないよ……と言ってもどうせ聞かないので、言ってないが。健康な姿で日曜朝に会えることを祈ります。
やるべきことがずっと折り重なっていたがなんとか大物はひと段落。まだ他の人たちを待たせている事項がいくつかある。自分のためにやるべきことも少し棚上げになっていた。まずは部屋の掃除。放送大学の履修科目も昨日が登録締切日で午後になって滑り込みで登録と変更を完了。やっぱりこの「勉強したい」という意欲を大切にしなくてはならない。追われていると逆転するのだ。もっとも学問環境に恵まれていた学生時代はやる気が起こらず、今になってあれもやりたいこれもやりたいと沸々と意欲が高まるようなものである。英語への情熱をとくに維持したいと思う。
冬はもうすぐ終わりだろうか。厳冬を過ぎればあとは春しか来ない。もうひと雪と言ったところだろうか。