_ 年末年始は定期券を買わないで過ごしている。職場に行かないからだ。定期がないと強迫的に動かなくて済む。そして自由になれる。動くときにコストがかかることを意識するのが言わば不自由ともいえるが、どんな経路でも選べる自由さは代え難い。定期を買わないと、日々どんどん損するような気もしてくるのだが、経路通り動かない日が一か月に一定日以上あると一概に損でもない。バス特でチケットがどんどんついたり、金額が上がるひとつ前の駅で下車して歩いたりするのも楽しい。近頃では複合一日乗車券も企画されていたりして、墨田区・台東区のコミュニティバスとスカイツリーシャトルと、東武亀戸線と北千住・浅草間の東武電車も乗り降り自由で500円!なんていうのもある。それにしても台東区の100円バスはくねくねとものすごく遠回りをしてくれるので、車窓を楽しむには持って来いかもしれない。
ちなみに自宅から東京大学までの経路は、実におびただしいバリエーションがある。最短時間・最安区間は小村井・北千住・根津なのだが、小村井・押上・大手町・本郷三丁目もあまり変わらないし、都営にしたりメトロにしたりで距離も変わってくる。最混雑をいとわなければ亀戸に出て総武各駅停車で御茶ノ水に出て、それから学バスや丸の内線を使う手もある。南北線東大前は農学部からアクセスがいいのだけれど、自宅から行くのにいろいろ経由しなくてはならない。
なんてことをいろいろ考えたり試してみたりしている間に、研究生・学部生・院生(柏キャンパスだった)・職員の立場変遷もあり、もうすぐ大学での仕事の任期も終わるかもしれない。東大を離れたら慶應での勉強に専念するかもしれず、アルバイトをするのか再就職するのかもまだわからない。定まってないというのはいろいろ可能性もあって楽しいものである。専門学校での仕事から離れてそろそろ9年経って収入は減ったが、気ままに学問の間を逍遥できて、なんとも楽しい毎日である。東京中の電車やバスにも気ままに乗れて、ますます自由な感じである。
_ 本日中曽根康弘元首相が亡くなられたとのことである。お悔やみ申し上げます。大正生まれの自民党の政治家で、とてもパフォーマンスのうまい人だったと思う。非常に影響力の大きい政治家だったので、左右、敵も味方も多かったのではなかったか。
2008年の東京大学ホームカミングデーでゲスト講演され、自分はライブで見、聴くことができた。当時で90歳だっただろうか。お元気だった。政治や経済の分野の話で弁舌を奮う姿を見て、自分もあのように歳を取りたい…と思った。ぼくは労働運動を続けてきたので、内容については是是非非あるが、リーダーとしての資質と姿を見せてくれていたと思う。そしてぼくにとっては、このホームカミングデーに行ったことがその後の自分の学問復帰に結び付いた。中曽根氏の講演を聴いたことは自分の中に大きなインスピレーションを作り出した。
存命のうちに何かまたイベントがあれば参加したいと常々考えていたのだか、それもかなわぬこととなり残念である。また一つ昭和が終わっていく…という感慨である。
_ ぼくは原子力工学科を卒業しているので当然のことながら原発推進派であると公言したい。というか自分がやってきたことを肯定するのは人間だから当然である。そして労組活動も長いことやってきたので、その意味でサヨクとも言えるのである。カタカナでサヨクとしたのは、本物の左翼活動家の人たちに比べたら全然力も根性もないので、端くれにすぎないということである。これも自分が長いことやってきたことだから、肯定するのは当然である。組合活動家の仲間たちからよく言われるのは「なんで森田さん原発賛成なの? 自民党好きなの?」とか、なんとも答えがたい質問である。自民党だって集票したいからか、最近は原発推進とは言わない。代替エネルギーでカバーする、とか廃炉を目標、とかごまかしている感じなのである。原発をはっきりと推進すると言っているのは維新の会くらいだろうか。結局みんな世論がこわい、みんなの支持を得たい、って感じなんですかね。それって大衆迎合主義なんじゃないのかなあ。ポピュリズムですかね。
みんなと違う主張をするのは勇気がいる。下手すると袋叩きにあったりするからね。でも信念は変えられないのですよ。自分の本音が変わる日だってくるかもしれないのだけれど、本音が変わらない以上、人と違っていてもそれは仕方がないですよ。
_ 高校卒業以来、ほとんど歯医者には行っていなかったのだが、1994年に歯を食いしばって力が入りすぎて歯が割れて、およそ10年ぶりに歯医者に行って銀を入れた。そしてまた放置していたら歯周病が進み歯茎が腫れて、噛むたびに肉を噛む状態になり、2002年に総点検をしたのだった。親知らずを抜き、プラークを根こそぎ掃除し、痛い思いをしながらメンテナンスし続けてようやく健康な歯と歯茎になった。新中野の歯医者に行き続けていたのだが、住まいは中野から板橋、墨田と遠くなり、プラーク掃除が痛すぎる衛生士さんになったところで新中野からは決別した。そして湯島の歯医者に少し行ったがまたプラーク掃除が痛い。そしていま向丘の歯医者に行き始めた。本郷にもいくつか歯医者があるのだけれど、対応が悪かったり怪しいところもある。とにかく実践するのみ、行ってみないとわからない。というわけで歯医者難民になりそうだった自分である。
_ たいていのことは他の誰かが代わりにやってくれても何の支障もないし、むしろ自分がやらないと達成できないと考えることの方が高慢極まりないことである。幾たびもの経験でだんだんとそれがわかってきたのだけれど、自分の出番か他の人の出番か、判断がつかないこともある。他の人がやろうとしないとつい手を挙げてしまう。手を挙げるのをどのくらい待つのか。30秒か、3日だろうか、3年待つのだろうか。よくわからなくなる。待っていると他の人が手を挙げることがある。誰も手を挙げないまま、制度自体を改善する方向に進む時もある。ますますよくわからなくなる。
しかし、誰かを助けなければならないとき、チャンスがきたらそれを逃すわけにはいかない。自分の目の前でそれが起きたらためらう暇はない。拾うしかない。腰をかがめる、床に手をつく、泥がはねてくる。そこで思ったことを言うしかない。すべてをうまくまとめるなんて到底できることではない。苦しんでいる人に手を差し伸べる。助けを求められたときになりふり構わずそれにこたえる。たとえば20年近くやってきた人を助けられるのは、25年とか30年やってきた自分たちだけかもしれない。それはむしろ光栄な役割である。声がかかったらやるしかない。
あとは汚れ役。みみっちい話をしに行かなければならない役目。叱られることが仕事の役割。クレーム引き受け株式会社というのが昔あった。ずうずうしい話を強硬にねじ込まなければならない役割。話しにくい話を誰かがしなくては状況は改善しない。とくに日本人、都会人は見て見ぬふりをする。見ないふりばかり毎日していると本当に見えなくなる。見えたものをそのまま口に出すと、子供みたいに思われたり「しっ」なんて言われる。あれは裸の王様だったか。逆に抑える側の役割もある。全体のガバナンスのため、内部統制のために、冷酷に見せしめをしなくてはならないこともある。社会とはなんと厳しいことか。
自分にしかかぶれない泥があるなら、それを進んで引き受けよう。いろんなことを経験してきて、それができるようになったからそれがそこにあるのだと思う。
_ 「トップ」からプロフィールに行くと、2007年に撮影した自分の写真が出てくる。これは高田馬場のスタジオで撮ってもらったお見合い写真なのであった。でもお見合いはしていない。当時40歳を超えたので、そろそろ結婚するかもしれない…とか思ってスタジオに行ったのだ。結婚相手などいないにもかかわらずである。だからこの写真は12年もサバを読んでいる。サバイバルである。
しかしその4年後にこの写真とは何の関係もなく、仲間と結婚することに至った。まもなく結婚8周年である。孤独で自己中心なこのわたしが結婚生活など続けられるのだろうか、という懸念はあったが、なんとも仲睦まじく結婚生活が維持できている。いろいろ要求したり要求されたりしないのがコツのような気がする。
_ 今年の東京六大学野球、春のリーグ戦日程が発表になった。今リーグは東京大学の全試合を見に行く!との意気込みで参加したい。これまで二・三年生でも活躍してきた辻居、新堀、小林、山下といった選手たちが四年生となり最強のナインである。またぼくの母校の小倉高校出身の岡くんも三年生ながらレギュラースタメンに出ることだろう。あの勝ち点の日から時が流れたが、今年もまた勝ち点の再来か、もしくは最下位脱出も夢ではないと確信している。
_ 通勤に千代田線を使っている。朝の北千住から西日暮里までの混み方が半端ではない。でも綾瀬始発の代々木上原行きを狙えば車内でまだ動けるくらいのスペースはある。それにしても常磐線から各駅で入ってくるやつはすごい。夕方の逆方向もすごい。根津で乗るのだけれど、入線してくる電車の扉にはすでに人々が張り付くくらい乗っている。これ以上乗れるのか?と思うが、乗るとそれなりに乗れるので電車の許容力とはすごいものだ。そして西日暮里や町屋でさらに乗ってくるのだから。
カラーも緑色でエコな感じ。小田急直通なのでハイソにも見える。でも痴漢出現率ワーストスリーだったような気がした。トップは埼京線だったか。あれだけ混んでいると身動きが取れない。冤罪は嫌なのでいつも手は首のあたりまで上げている。
ラッシュ時でなければ、湯島や御茶ノ水、二重橋や霞が関を通って、表参道や代々木公園など都会の街並みを優雅に走って快適である。駒場や代々木オリンピックセンターに行くときよく使った。TXが当初「常磐新線」と呼ばれていて、混雑緩和になるかと思ったが、運賃の高いTXにあまり流れない。値段が同じくらいだったら、たまにTXに迂回してもいいのだけれど。
_ あと何年生きるかなんてまったくわからない。「生は偶然、死は必然」。築地本願寺にもそういう貼り紙がしてあったことがある。平均寿命を想定するのが普通だが、ぼくはいま52歳なので、平均的にはあと30年といったところか。しかし50代、60代で亡くなる人もけっこう多くいる。70代はなおさらだ。掛けてきた年金をもらわずに死ねるか!!くらいの気概が必要かもしれない。でも本当に先のことはわからない。
とすれば、毎日、生きていきたいように、やりたいことをするのがよろしい。そんな感覚で45歳で結婚したり、大学に入ったり、楽しく過ごしてきた。この数年ワールドサービスも楽しい。もうちょっと歳を取ってからやったら?と勧める人もあったが、65歳から自由になるという考え方もわからないでもない。それまでは夢中で働けという考え方もあるが、今でもすでに老眼が始まっていたり、疲れやすくなっているのに、これを13年も待っていたら、ますますかったるくなるのではないかと思う。そう、何事もやるのは今だ!
ここ数年、野球を見に行ったりカラオケで歌ったり、あまり生産的でないと言われているものごとも、臆せず実行するようになってきた。人生が長いとは限らないよ。だとしたら、先延ばしする理由は何もない。今いるここが自分の人生。
_ 母の初盆ということで休みを取って北九州へ。二日間、朝の勤行。それから散骨場所へのお参り。そしてお盆の終わりには京都に出て、父の納骨寺にお参りをし、読経と法話もいただいた。夏を九州で過ごすと、父や母とのいろいろな思い出がよみがえってくる。福岡と大分はやはり森田家のふるさとだ。