_ 今年の東京六大学野球、春のリーグ戦日程が発表になった。今リーグは東京大学の全試合を見に行く!との意気込みで参加したい。これまで二・三年生でも活躍してきた辻居、新堀、小林、山下といった選手たちが四年生となり最強のナインである。またぼくの母校の小倉高校出身の岡くんも三年生ながらレギュラースタメンに出ることだろう。あの勝ち点の日から時が流れたが、今年もまた勝ち点の再来か、もしくは最下位脱出も夢ではないと確信している。
_ 通勤に千代田線を使っている。朝の北千住から西日暮里までの混み方が半端ではない。でも綾瀬始発の代々木上原行きを狙えば車内でまだ動けるくらいのスペースはある。それにしても常磐線から各駅で入ってくるやつはすごい。夕方の逆方向もすごい。根津で乗るのだけれど、入線してくる電車の扉にはすでに人々が張り付くくらい乗っている。これ以上乗れるのか?と思うが、乗るとそれなりに乗れるので電車の許容力とはすごいものだ。そして西日暮里や町屋でさらに乗ってくるのだから。
カラーも緑色でエコな感じ。小田急直通なのでハイソにも見える。でも痴漢出現率ワーストスリーだったような気がした。トップは埼京線だったか。あれだけ混んでいると身動きが取れない。冤罪は嫌なのでいつも手は首のあたりまで上げている。
ラッシュ時でなければ、湯島や御茶ノ水、二重橋や霞が関を通って、表参道や代々木公園など都会の街並みを優雅に走って快適である。駒場や代々木オリンピックセンターに行くときよく使った。TXが当初「常磐新線」と呼ばれていて、混雑緩和になるかと思ったが、運賃の高いTXにあまり流れない。値段が同じくらいだったら、たまにTXに迂回してもいいのだけれど。
_ あと何年生きるかなんてまったくわからない。「生は偶然、死は必然」。築地本願寺にもそういう貼り紙がしてあったことがある。平均寿命を想定するのが普通だが、ぼくはいま52歳なので、平均的にはあと30年といったところか。しかし50代、60代で亡くなる人もけっこう多くいる。70代はなおさらだ。掛けてきた年金をもらわずに死ねるか!!くらいの気概が必要かもしれない。でも本当に先のことはわからない。
とすれば、毎日、生きていきたいように、やりたいことをするのがよろしい。そんな感覚で45歳で結婚したり、大学に入ったり、楽しく過ごしてきた。この数年ワールドサービスも楽しい。もうちょっと歳を取ってからやったら?と勧める人もあったが、65歳から自由になるという考え方もわからないでもない。それまでは夢中で働けという考え方もあるが、今でもすでに老眼が始まっていたり、疲れやすくなっているのに、これを13年も待っていたら、ますますかったるくなるのではないかと思う。そう、何事もやるのは今だ!
ここ数年、野球を見に行ったりカラオケで歌ったり、あまり生産的でないと言われているものごとも、臆せず実行するようになってきた。人生が長いとは限らないよ。だとしたら、先延ばしする理由は何もない。今いるここが自分の人生。
_ 母の初盆ということで休みを取って北九州へ。二日間、朝の勤行。それから散骨場所へのお参り。そしてお盆の終わりには京都に出て、父の納骨寺にお参りをし、読経と法話もいただいた。夏を九州で過ごすと、父や母とのいろいろな思い出がよみがえってくる。福岡と大分はやはり森田家のふるさとだ。
_ 政治家が叩かれる。よく叩かれるのだけれど、マスコミが仕掛けたキャンペーンのにおいがするのはぼくだけだろうか。キャンペーンに乗っかりやすい国民だなあとつくづく思う。
その政治家に投票したのは誰。われわれの多数決だろう。多数決を否定する気かい?とぼくは思ってしまう。過半数議席を占めてる自民党、われわれのほとんどが投票したということじゃないの? それを否定するのは民主主義の根本をくつがえすことなんだぜ、といいたい。
_ 高級牛肉店でしゃぶしゃぶコース。結婚記念日に何もしていなく、忙しさにかまけて時間が経ってしまったので、およそ一か月遅れではあるが二人で上野の「木曽路」に行った。肉はそれほど多くないのだが、野菜やきしめんやもちに押され気味だった。二人でだいたい一万円。たまに贅沢もいいかもしれない。
_ Webback Machineという、ウェブサイト情報の自動収集システムがあって、ぼくがウェブサイトを開設したばかりのころの文章小品がいくつか残っていましたので、このサイトに追加しました。1997年~2001年のものです。
なんと30代前半ですよ。UNIXやゲームやアニメにハマっていた頃がちょっと恥ずかしい。まだお酒もやめて4,5年くらいのドライな感じが心もとなく、いいかもしれません。独りよがりな長い文章をつらつらと書いていてやはり恥ずかしいけど載せておきます。
_ この年度替わりの時期は寄付講座自体の存続が危ぶまれ、わたしの首もつながるかどうかぎりぎりまで危なかったが、いろんなめぐり合わせが幸いして、また新年度フルタイムで働けることとなった。ほっとしている。 両親とも亡くなってまだ喪は明けていないのだが、冬の間に姉と一緒にグアムに旅行してくることができた。終わっていない埋め合わせがまだまだある。処理していないこともたくさんある。 サービス活動もまた波に乗ってきた。なるべく今やるべきことを今やっていきたい。当たり前のことなんだけど、コツコツとベストを尽くしていきたい。頑張らない程度に。
_ 専門学校が廃校になって職を失って以来、学問を再び志して学生生活を謳歌したのだが、昨年の年の暮れからふたたび仕事をいただくことができ、まるまる一年間働くことができた。しかも母校の東大に所属することができたのだから、わたしはとても運がいいと思っている。仕事の内容はいろいろと欲を言い出せばきりがないのだけれど、いろいろ自分でマネージしたり戦略を立てたりするのはあまり得意ではないし、むしろ与えられた職務を誠実にこなすことのほうが向いている気がしている。これは20代、30代に自己イメージしていたのとはまったく異なっていて、意外にもわたしは小市民であり一兵卒であり、自分の分相応の範囲で収まっているほうが居心地がいいサラリーマンだということがよくわかってきた。しかしながら、たいして創造性のないように見えるルーティンワークも、10年20年と続けていけば、不規則な事案に遭遇しても滑らかに対応できるようになってくるから不思議だ。経験というものは概念や枠組みを凌駕してくれる。その道を何十年も歩いている人に高々1,2年の新規参入が戦いを挑んだって勝てるものではない。そういうことを最近よく考えるのである。
人生はそんなに長いものではないと思う。すべては過ぎ去るし、同じ形でいつづけるものもない。私たちはユークリッド幾何学とかニュートン力学に毒されているので、唯物論的考え方に偏向しがちである。一つの光子が二つの格子を同時にすり抜けて向こう岸で干渉縞を作るなんてことを高校生の頃初めて聞いたとき、腰が抜けるほどびっくりしたものである。でも人生はその干渉縞そのものだ。縞の濃淡で一喜一憂しているのではないか。因果関係とか論理学が好きならば、それはそれでいいのだけれど、父が亡くなり母が亡くなり、自分だって本当に平均余命まで生きるのだろうか、積立気分で乗せてきた年金を一円ももらえないうちに脳溢血で倒れないという保証があるのだろうか。お金を稼ぐのが究極の目標にならないところはそこにある。仕事ができたこの一年に対して感謝しているのは、物心両方のことであって、身分や立場がもらえて尊重されているという感じがするからにほかならない。
40,50代で無職というのを味わったからこそこの次を大切に生きていきたいという気持ちが強いのかもしれない。幸いにもわたしには仕事以外にライフワークを見つけているし、大変な人数の構成員のメンバーたちと出会うことができた。今も日々新しい出会いに満ちている。苦しんでいる人が目前に現れたら、助けになりたい。また間接的な効果であっても、構成を改善することに全力を尽くしたい。みんなが尻込みするような大舞台にも仲間の後押しでひょいと出られるようになったし、この小市民のわたしには奇跡としか言いようがない。思うようにならないときには宗教宗派が仏の声を届けてくれるし、愚痴をこぼすと聞いてくれる人が一人や二人と言わずいる。考えの違う人たちとも無難にやり過ごせるし、うまく生きられるようになったものだ。
いろいろ小理屈を書いてしまったが、結局私はたくさんの人間関係に恵まれ、驚くべきタイミングで価値あるものを与えられ、サジェッションを受けているということである。耳さえ塞がずにいれば、短いこの人生で次々に与えられていくことだろう。
_ 気づいてみたら半年も飛ばしてしまっていた。フルタイムの仕事に復帰したのは2003年末以来なのである。しかもサービスの役割に戻ってきたこともあり、毎日毎日やることがたくさんあってうれしい悲鳴なのである。睡眠時間は十分確保しているのだけれど、エネルギーが余っていない感じ。忙しがっている人には「ほんとはうれしいくせにー」と言いたくなる。 無職で学生でもない空き期間が半年以上続きそうな勢いだったので、中央仏教学院の通信制まで始めてしまって後悔している。国際協力の委員とか仏教の勉強とか、たいていそのあたりのことは「もっと歳行ってからでもいいんじゃないの」と評する人が多いのが不思議だ。どっちも今すぐ役に立つことだから、なんで老後の楽しみにしなくちゃいけないんだろう。できたら漢字検定準一級や一級突破とか、全国国鉄廃線跡踏破とか、なるべく若いうちにやっておきたいことが山ほどあるんだけど。 でも今度また仕事がなくなったら、たぶんまた大学か何か受験するような気がする。忙しいけど、人生勉強ほど楽しいものはないですよ…。
● つくし野 尾崎 [森田さん、明けましておめでとうございます。 なにか、森田さんの言わんとしているところ、すごく共感できます。 私は..]