_ 専門学校が廃校になって職を失って以来、学問を再び志して学生生活を謳歌したのだが、昨年の年の暮れからふたたび仕事をいただくことができ、まるまる一年間働くことができた。しかも母校の東大に所属することができたのだから、わたしはとても運がいいと思っている。仕事の内容はいろいろと欲を言い出せばきりがないのだけれど、いろいろ自分でマネージしたり戦略を立てたりするのはあまり得意ではないし、むしろ与えられた職務を誠実にこなすことのほうが向いている気がしている。これは20代、30代に自己イメージしていたのとはまったく異なっていて、意外にもわたしは小市民であり一兵卒であり、自分の分相応の範囲で収まっているほうが居心地がいいサラリーマンだということがよくわかってきた。しかしながら、たいして創造性のないように見えるルーティンワークも、10年20年と続けていけば、不規則な事案に遭遇しても滑らかに対応できるようになってくるから不思議だ。経験というものは概念や枠組みを凌駕してくれる。その道を何十年も歩いている人に高々1,2年の新規参入が戦いを挑んだって勝てるものではない。そういうことを最近よく考えるのである。
人生はそんなに長いものではないと思う。すべては過ぎ去るし、同じ形でいつづけるものもない。私たちはユークリッド幾何学とかニュートン力学に毒されているので、唯物論的考え方に偏向しがちである。一つの光子が二つの格子を同時にすり抜けて向こう岸で干渉縞を作るなんてことを高校生の頃初めて聞いたとき、腰が抜けるほどびっくりしたものである。でも人生はその干渉縞そのものだ。縞の濃淡で一喜一憂しているのではないか。因果関係とか論理学が好きならば、それはそれでいいのだけれど、父が亡くなり母が亡くなり、自分だって本当に平均余命まで生きるのだろうか、積立気分で乗せてきた年金を一円ももらえないうちに脳溢血で倒れないという保証があるのだろうか。お金を稼ぐのが究極の目標にならないところはそこにある。仕事ができたこの一年に対して感謝しているのは、物心両方のことであって、身分や立場がもらえて尊重されているという感じがするからにほかならない。
40,50代で無職というのを味わったからこそこの次を大切に生きていきたいという気持ちが強いのかもしれない。幸いにもわたしには仕事以外にライフワークを見つけているし、大変な人数の構成員のメンバーたちと出会うことができた。今も日々新しい出会いに満ちている。苦しんでいる人が目前に現れたら、助けになりたい。また間接的な効果であっても、構成を改善することに全力を尽くしたい。みんなが尻込みするような大舞台にも仲間の後押しでひょいと出られるようになったし、この小市民のわたしには奇跡としか言いようがない。思うようにならないときには宗教宗派が仏の声を届けてくれるし、愚痴をこぼすと聞いてくれる人が一人や二人と言わずいる。考えの違う人たちとも無難にやり過ごせるし、うまく生きられるようになったものだ。
いろいろ小理屈を書いてしまったが、結局私はたくさんの人間関係に恵まれ、驚くべきタイミングで価値あるものを与えられ、サジェッションを受けているということである。耳さえ塞がずにいれば、短いこの人生で次々に与えられていくことだろう。
森田さん、明けましておめでとうございます。
なにか、森田さんの言わんとしているところ、すごく共感できます。
私は、今日一日を今年も大切にしていきたいと思います。また、荻窪におじゃましますね。