今回の宮崎は、先日の京都や水戸そして台湾とはかなり違う。仲間と会うのが目的だからだ。最近観光ツアーに参加するようにしているが、以前はまったく興味がなかった。ようするに場所はどこでもよかったのである。
しかしあちこち仲間のいるところに出かけるにつれ、地域性というのも重要な要素かもしれないと思うようになってくる。プログラムへの取り組み方や気質による影響、新しい人の育て方など、地域によってかなり違いがあるのである。自分の住んでいる場所の周りで行われていることを基準に考えるのはたやすい。しかしそれでは過去と同じで自己中心的だ。そしてさらに考えなくてはいけないのは、自分が何をもらってくるかよりも、他の仲間のために何ができるかといったことのほうが重要なのである。理解されるよりも理解することに意識を集中していきたい。たぶんそのほうが懐の広い人間になれるだろう。そして結果的にそれが自分を豊かにしてくれる。それでいいのかもしれない。
青島で宿泊研修会。定額給付金記念JALバーゲンフェアを利用した。片道12,100円だ。京都から帰ってきて、二週連続で飛行機である。
宮崎に降り立ち、空港のレストランで冷汁定食。飫肥(オビ)天とめひかり南蛮と書かれていた。なんだかさっぱりわからないものを食べる勇気はなく、店員さんに聞く。飫肥天はさつま揚げ風てんぷら、めひかりは魚であった。宮崎名物らしい。
送迎バスにちょっと乗り遅れ、電車で青島へ。日南線のディーセル列車がいい感じだった。地元の男女高校生が談笑している。海辺の観光ホテルに到着。夕食前に橋を渡って青島神社へ参拝。島の周りには一面に鬼の洗濯岩が敷き詰められている。人工的に見えるのだが、これは奇岩であり、すべて自然がそうさせているのである。
初日の夜はオープニングとスピーカーズだった。すこし話させてもらい初日は終了。
春先暖かくなった頃に種をまいた朝顔が、今朝咲いていた。なんかもう理屈抜きでうれしい。とてもうれしい。まだ当分開花は先のことと思っていたし、この狭いマンションのベランダの鉢植えが本当に咲くなんてね。
気をつけたのは二点。日中太陽の光がよく当たるようにしたことと、二日以上晴天が続いたら水をやっていたということである。水は一度ポットで煮沸して冷ましたものを、コーヒーカップであげていた。猫に水を飲ませるようなものだ。カルキはいけないと直感的に感じていたのだ。
しばらくしたら梅雨も明けるだろうか、もう一度種まいて咲かせるか…。双葉が出たときも感動したが、花も感動。ガーデニングマニアな人たちの気持ちが、ちょっとだけわかったような気がする。
京都二日目。京の烏丸の中心地にある六角堂を訪れる。ここは親鸞上人が若い頃、百日連続で通い詰めたというお堂である。聖徳太子のお告げを受けたのは95日目の早朝らしい。救世観音による女犯の夢告と呼ばれているようだが、これがきっかけで親鸞はさらに百日の間、東山の法然上人のもとへ通ったということのようである。
これが親鸞上人29歳のときのことのようだ。自分の29歳は、霊的目覚めと性的目覚めがいっぺんに来たような頃合であった。今と昔では事情もぜんぜん違うのかもしれないが、欲望といかに付き合っていくかは大きな課題だったと思われる。性欲に限らず…だが。だいたい今のこの世の中で、百日も続けて師匠のもとに通う気力など生まれてこないのではないか。行動は三ヶ月で習慣化するというが、八百年も前に親鸞上人はそれを肌で知っていたとしか思えない。六角堂の金平糖を買いながらそんなことを考えていた。
ついつい必ず行ってしまうお寺、銀閣寺である。残念ながら改装工事中で、上半分はまともなのだが、下半分は見るに耐えないあばら状態であった。このままだと、しんとしたわびさびの心が感じられない。角度を変えたり、裏山を上がったり降りたりして、よいショットを探す。するとちょうどよい風景があった。
初の金閣・銀閣体験が25年前の冬だったのだが、ちょうど雪が積もっていたのである。あれが美しすぎたのだった。それを求めてもふだんはそのレベルに達しない。次に来るときは雪の日に来たい。
土曜は市バス一日券でバスに乗りまくったが、二日目は極力電車を使った。京大での授業が終わってから鴨川まで歩いて出る。京阪の出町柳駅。東京の金町浄水場や、京成高砂近くの貨物線が走っているあたりのような雰囲気である。祇園四条まで乗り、阪急へ乗り換え。八坂神社の前の祇園のあたりは、北九州によく似ている。小倉の祇園太鼓や小文字焼きは京都のパクリだからである。
鴨川の岸辺に御茶屋の張り出し座敷が出ている。一杯やってる人たちもいるし、浅草にも似ている。路地の中をのぞくと、京都には珍しく風俗店の看板らしきものも発見(「巨乳専門」と書かれていた)。雄琴まで行かないとそういう店はないものと思っていたが、どうやら京都にも需要があるらしい。
雑多ではあるが、大阪や新宿のような卑猥さがない。街がきれいなのだ。ごみが皆無というほどでもないのだが、やはり「しまつ」がよくされている感じがする。
阪急の河原町から電車に乗り、伊丹空港のある蛍池へ。京の二日間を満喫した。授業は二日間出たが、実はそんなことはどうでもよいことなのだった。
放送大学の面接授業を口実に、京都へ行ってきた。四年前の春の納経以来である。授業の会場は京都大学総合博物館。百万遍の京大キャンパスの中に建物がある。初めての京都大学だ。ちょっと興奮した。東大に初めて行ったときは18歳の冬だったが、今はもう43歳の夏である。子どもの興奮と大人の興奮はちょっと違うぞ。何が違うかって、大人の心はいろんなもので汚れているということだ。皆さんの想像の通りであるから内容はあえて言わない。
京都大学は入試の選択肢には入らなかった。入試の難易度(偏差値)はほぼ東大と同じである。定員が学部学科ごとなので、入学時に決めた学科がそのまま卒業学科になってしまうというのがちょっと怖い。東大は理科一類(工学系)とか理科二類(農学系)とか、大雑把なことしか決めないで入る。だから入学後の進路が柔軟なのだ。それもあるし、東大は入学後は東京で暮らすが、京大は入学後は京都で暮らすのである(当たり前だが)。18歳のぼくは京都にあまり魅力を感じなかったのである。というか、東京の魅力に引き寄せられていたんだと思う。
大学の中の雰囲気とか建物とかはどこでも大して変わらないが、京大は理学系の湯川秀樹とか朝永振一郎とかがあまりにも有名だし、西田幾多郎の哲学の道とか、やはり象牙の塔のイメージが根強い。主観的なイメージだが、品がよいような感じがする。これは大学に限った話ではなく、京都全体が持つイメージなのである。
夜行高速バスで京都に着いたので、一日のスタートが午前六時であった。四年前父と来たときに午前八時半でそれでも早いと思ったのだが、さらに二時間半も早い。すでに開いてる寺なんてあるのだろうかと思ったが、なんともう西本願寺は開門していた。会社やお店と違って、寺院は日の出とともに開き、日没とともに閉まるようである。
西本願寺ではすでに僧侶による読経と説教が始まっていた。うやうやしく聞く。こんな早い時間にたくさんの人だかり! けっして老人ばかりではない。若い人や女性も多い。さすが京都である。
そして祖母の納骨のお参りに行く。ところを変えて五条坂の西大谷(大谷本廟)である。入り口で堂々と親鸞聖人の銅像が出迎えてくれる。旅先で知っている人に出会えたようなうれしさだ。朝の読経受けつけが八時半からということだったので、面接授業が終わってから再度夕方訪れた。読経用の個人カード(4年前に父が持っていたものと同じ)を改めて作ってもらった。これでもう一人でも来れる。
すでに33回忌を過ぎた祖母へお経を上げてもらった。短い法話もしてもらった。仏様はいつもわれわれを見守っているというような話である。汚れた心でも救ってくださるその度量の広さ。だからといって汚れたままでよいというわけではない。それでは「本願ぼこり」である。汚れた心で聞きながら、汚れた心を正していきたいと祈るのみである。
恥ずかしながら今まで自分の数珠すら持っていなかったので、大谷本廟の売店で数珠を買った。参拝明細はオンライン電算化されていて、祖母の法名がきちんと印刷されて出てきた。なんだかたったこれだけのことで、自分が死んでも必ずきちんとしまつをしてもらえる気がしてくる。まだまだ先のことだとは思いたいが…。
夕食は餃子の王将に行った。関西で王将に入るのはこれもまた初めてである。太子道店。セットメニューは関東版より安めの設定である。から揚げと餃子、ライス。餃子の味は関東とあまり変わらないかな。から揚げの衣がちゃんとしている感じ。関東はまぶしただけだけどね。
たまたまかもしれないが、「餃子10人前下さい」とか「から揚げと餃子どっちも三人前」とか、大人買いに訪れる客多数。一家揃ってみんなで餃子食べているのか、京都の人たちは。すごいね。
旅行会社のパックに設定されていた大阪のホテルに宿泊。夜行バス+ビジネスホテル+JAL伊丹→羽田で計19,300円。バラバラで買っても同じくらいだろうか。京都で泊まると値段が跳ね上がるようだったので、阪急電車で京都大阪間を移動。夜行バスの疲れもあってか、ホテルに着いたらもう繁華街に遊びに出る気力もなく午後九時過ぎには就寝。深夜スポンシーから電話が入るが、嫌がらず誠実に対応(偉い!)。その後朝までまったく目覚めなかった。
不安の中で新しいことをやってみると、思いもよらない発見がある。幸せが訪れるのはそうしたチャレンジによるところが大きい。古いものを手放すと新しいものが手に入るようである。
新しいことをはじめるときのエネルギーは、これまで培ってきた馬力と、まったく想像もつかなかった発想、そして導きを受けようとする広い心から生まれる。
別世界のものが自分の内実になる。これまでそういうことが起きてきたように、これからもそうであろう。
午後四時からタワーレコード渋谷で「楽しい夕べに」と題されたイベントがあり、参加した。夜九時くらいまで五時間ぶっ続けのイベントである。青山ロックンロールショー並みである。
何かというと、キヨシローの追悼DVD上映会だった。84年の「The Tears of a clown」、94年の「Glad all Over」、そして2008年の「完全復活祭at武道館」の三ライブの上映だった。タワーレコード地下のイベントホールだったので、大画面大音量で、まるでライブハウスのノリである。
84年はたしか見に行った。94年はぼくは日比谷公園でギターを弾いていた。昨年は残念ながら見送ってしまった。
ビデオを見ているにもかかわらず、会場では拍手や声援がだんだん大きくなっていった。アンコールさえ出る始末。アンコールタイムには新譜「Oh!Radio」のプロモーションビデオが流された。
新宿店でも追悼会をちょくちょくやっているようである。違う音源のときにまた参加したい。
今週末は父の日である。昨日伊勢丹で魚の切り身を買い、クール宅急便で送るべく手配した。昨年9月より実家に帰っていない。台湾旅行みたいに、否応なく日程を入れてしまえばそれで行けるんだが、今ひとつ気乗りがしないでいる。
父の老後をそばについて伴走できないのが気がかりでいる。姉に丸投げしてしまっているのが心苦しい。
父の最近の興味は投資信託であろうか。株価の暴落でたぶん痛手をこうむっただろうなあ。欲をかかないで生きていて欲しい。それはぼく自身にも言えることなのだが。
ぼく自身のつつましい財産のポートフォリオを書いて、父に送った。流動資産、年金・共済、不動産など。自分自身も整理できたし、たぶんぼくに対して父が知りたいのはそこだろうと思ってのことである。父の日のプチプレゼントになっただろうか。
昼休み食事に出て戻ってくる途中、やけに明治通りに警官が出ている。私服の人たちも交差点ごとにいる。私服警官は、ネクタイなしのスーツでイヤホンをしていて、スーツの襟元に安全クリップをつけていたりするのですぐわかる。皇室の誰かが通るのだろうと思いつつ、あまり気にも止めずに歩いていた。歩道橋を渡ろうとしたとき、車の流れがぴったり止まった。あれは信号機を操作して、交通量を減らして渋滞しないようにしているみたいである。
歩道橋をのぼろうとするぼくに、私服警官が駆け寄ってきた。「いまから天皇陛下がここを通るので、急いで渡ってください」と。???。よく意味がわからない。急ぐ? そうか、天皇陛下の車が通るのだから、その真上の歩道橋を一般の国民が歩いているのは失礼千判!頭が高い、ということなのだろう。せきたてられて、小走りに歩道橋を渡った。
渡ったところで見ていると、完全に民間車両が入ってこないようコントロールされているがらがらの道路に、白バイに先導された黒塗りの車が入ってきた。先頭の車両はダミーのようで、次の車両が天皇陛下の乗っている車である。後部座席右側に天皇陛下が乗っておられた。歩道橋を渡っていたおかげで、かなりの至近距離から顔を見ることができた。皇居での一般参賀なんかとは比べ物にならないくらい、すぐそばである。
父と確か同じくらいの歳だったよなあ、と思う。最近SPA!で小林よしのりが書いていたように、福祉や社会活動に尽力されているのであろう。あまり気安く近づくべきではないとぼくも思っているが、国家的有名人なので、こうして顔を見られるのはやはりうれしい。
立川の施設にボランティアに行ってから、昼下がりに仲間と会う。吉祥寺の街は過去の記憶になりつつある。仙川や三鷹に住んでいたときによく買い物に出た。あまり変わっていない印象。でもヨドバシカメラの進出や違法駐輪の撤去など、確実に変化はしている。
仲間と小一時間プログラムの分かち合いなど。一緒に続けてきたベースがあるので、一からやらなくてよい安堵感。次へつなぐ。
中野に移動してミーティングと夕食。今日もまた夜の雨である。昼間晴れていても傘は必須。100円傘を全部処分してから、ちょっとだけ雨の日が楽しい。