放送大学の面接授業を口実に、京都へ行ってきた。四年前の春の納経以来である。授業の会場は京都大学総合博物館。百万遍の京大キャンパスの中に建物がある。初めての京都大学だ。ちょっと興奮した。東大に初めて行ったときは18歳の冬だったが、今はもう43歳の夏である。子どもの興奮と大人の興奮はちょっと違うぞ。何が違うかって、大人の心はいろんなもので汚れているということだ。皆さんの想像の通りであるから内容はあえて言わない。
京都大学は入試の選択肢には入らなかった。入試の難易度(偏差値)はほぼ東大と同じである。定員が学部学科ごとなので、入学時に決めた学科がそのまま卒業学科になってしまうというのがちょっと怖い。東大は理科一類(工学系)とか理科二類(農学系)とか、大雑把なことしか決めないで入る。だから入学後の進路が柔軟なのだ。それもあるし、東大は入学後は東京で暮らすが、京大は入学後は京都で暮らすのである(当たり前だが)。18歳のぼくは京都にあまり魅力を感じなかったのである。というか、東京の魅力に引き寄せられていたんだと思う。
大学の中の雰囲気とか建物とかはどこでも大して変わらないが、京大は理学系の湯川秀樹とか朝永振一郎とかがあまりにも有名だし、西田幾多郎の哲学の道とか、やはり象牙の塔のイメージが根強い。主観的なイメージだが、品がよいような感じがする。これは大学に限った話ではなく、京都全体が持つイメージなのである。
夜行高速バスで京都に着いたので、一日のスタートが午前六時であった。四年前父と来たときに午前八時半でそれでも早いと思ったのだが、さらに二時間半も早い。すでに開いてる寺なんてあるのだろうかと思ったが、なんともう西本願寺は開門していた。会社やお店と違って、寺院は日の出とともに開き、日没とともに閉まるようである。
西本願寺ではすでに僧侶による読経と説教が始まっていた。うやうやしく聞く。こんな早い時間にたくさんの人だかり! けっして老人ばかりではない。若い人や女性も多い。さすが京都である。
そして祖母の納骨のお参りに行く。ところを変えて五条坂の西大谷(大谷本廟)である。入り口で堂々と親鸞聖人の銅像が出迎えてくれる。旅先で知っている人に出会えたようなうれしさだ。朝の読経受けつけが八時半からということだったので、面接授業が終わってから再度夕方訪れた。読経用の個人カード(4年前に父が持っていたものと同じ)を改めて作ってもらった。これでもう一人でも来れる。
すでに33回忌を過ぎた祖母へお経を上げてもらった。短い法話もしてもらった。仏様はいつもわれわれを見守っているというような話である。汚れた心でも救ってくださるその度量の広さ。だからといって汚れたままでよいというわけではない。それでは「本願ぼこり」である。汚れた心で聞きながら、汚れた心を正していきたいと祈るのみである。
恥ずかしながら今まで自分の数珠すら持っていなかったので、大谷本廟の売店で数珠を買った。参拝明細はオンライン電算化されていて、祖母の法名がきちんと印刷されて出てきた。なんだかたったこれだけのことで、自分が死んでも必ずきちんとしまつをしてもらえる気がしてくる。まだまだ先のことだとは思いたいが…。
夕食は餃子の王将に行った。関西で王将に入るのはこれもまた初めてである。太子道店。セットメニューは関東版より安めの設定である。から揚げと餃子、ライス。餃子の味は関東とあまり変わらないかな。から揚げの衣がちゃんとしている感じ。関東はまぶしただけだけどね。
たまたまかもしれないが、「餃子10人前下さい」とか「から揚げと餃子どっちも三人前」とか、大人買いに訪れる客多数。一家揃ってみんなで餃子食べているのか、京都の人たちは。すごいね。
旅行会社のパックに設定されていた大阪のホテルに宿泊。夜行バス+ビジネスホテル+JAL伊丹→羽田で計19,300円。バラバラで買っても同じくらいだろうか。京都で泊まると値段が跳ね上がるようだったので、阪急電車で京都大阪間を移動。夜行バスの疲れもあってか、ホテルに着いたらもう繁華街に遊びに出る気力もなく午後九時過ぎには就寝。深夜スポンシーから電話が入るが、嫌がらず誠実に対応(偉い!)。その後朝までまったく目覚めなかった。
地質図、褶曲分析、小断層解析、地震エネルギー計算、断面図、柱状図などあらゆるものをデータから作成し、いよいよ論文を作らなくてはならない。見通しは少し立ってきた。まずはプレゼンテーションの締め切りが迫っている。初めてノートパソコンを大学にも持ち込んだ。非常事態だ。ちょっと大げさか。「完璧」からは程遠いというところがポイント。旅行も巡検もレポートも不完全主義である。不完全ながら締め切りは守り、きちんと努力していこう。その積み重ねが自動的に完全なものに近づいていくのである。