ついに四万字突破。百枚超えると中篇と呼んでいいみたいだね。単行本ならもう出せる長さだ。
外を歩いていても、帰ってから書くネタのことを考えている。こうなるともう中毒だね。株と為替の熱がちょっと引いてるので、それはそれでいいかも。
いまの進捗状況は、およそ34,000字。四百字詰め原稿用紙で単純計算すると80〜90枚くらいということになるね。恋愛小説なんて言ったって、浮かれてる内容はほんのわずかで、煩悶と苦悩がつぎつぎに書けてしまう。いま書いているのは手のひらで転がされているあたり。駅前のパチンコ屋。でもこれは小説なので、ぼくには関係ない……。な、わけないか。題名は四十男の恋、とか、羊と狼、とか、なんかそんなのが浮かぶね。ワロスワロス。
格好や髪の色を変えたというだけでやたらと警察関係からチェックを受けるようになってしまったのは、ここに書いたとおりである。ビラ配りのお姉さんもやたら愛想がよい。逆に、あまり声をかけてこなくなったのが歌舞伎町の客引きである。キャバクラや風俗関係だと思うが、ぼくの顔をみるなりたいてい目をそらす。金髪だからなのか。トラブルを引き起こすトラブルメーカーと見られているのか、それとも金持ってなさそうに見えるのか、どっちかだろう。ネクタイして歩いていると大人気だったのが、嘘みたいだ。
投資の世界でよく引き合いに出されるこの概念、いまの君がまさにそれじゃないかね。
たくさんの喜びや快楽を得ようとすると、危険はつき物。欲深さから自由になり、べつになにもほしくないと思っている人には常に安全が保障されている。
誰だってローリスク、ハイリターンを求めるけど、それがかなわないのは世間の道理である。自分だけ例外でいたいという勝手な妄想もバツ。手に入れるものが多いと、その中にはどくろのマークもあるのだった。あー、身に沁みる。薬も沁みる。
昨日と今日で文章をひたすら書いてみている。ワードの文字数カウント機能で確認すると、すでにおよそ15,000字。原稿用紙で換算すると単純に40数枚だ。書いても書いても書きたいことが出てくる。書くことのフロー状態だね、これは。脳内からなんかエンドルフィンみたいなのが、漏れ出ているのかもしれない。妄想OK、物語OK、事実のままもOK、と思うと、なんか無限に力が湧いてくるよ。いままでのぼくの素養や経験が、この日のために準備されてきたのではないかと思うくらいの勢いである。続けていこう。
でも、せっかく金髪にしているのに、外に出かけないのはもったいないね。でも夜はミーティングに出るんだから、それでよしとするか。
91年から93年くらいにかけて、とても地面の下をもぐっているような生活をしていたのだが、非生産的な短編小説を書いたり、詩というかアフォリズムというか、とにかく「狂った社会」に警鐘を鳴らすべく、たくさん文章を書いていた。最終的にはバインダーノートに27冊くらいあったのだが、しらふになって数ヶ月したときに、こんなものを抱えていては新しい人生の邪魔になると思い、みんなゴミとして捨ててしまった。
短編小説は友達に読んでもらったり、ある作家の自宅マンションを突き止めてそこのポストに入れてきたりしたのだが、そんなことをしても何になるのか、だいたい自分の意図がよくわからない。狂った人が狂った文章を書いたとしても、せいぜい狂った人が絶賛する程度で、社会にはまず受け入れられないだろう。
作家になりたいという妄想も、ほとんど火が消えてきた。しかしながら、今の自分に与えられている時間と力とタイミングを使って、できることはひとつここでやってみようかなという気になっている。作家になるのは無理にしても、自分の経験を書いて残してみたいという衝動に駆られているのである。発表するかどうかはともかくとして、まあ、気が済むまでやってみようか。
いろんな人たちが文章を書くときに、最初の動機はただもう単に「これを書かずにいられようか?」というような、子供のようなエネルギーだと聞く。いまの自分がまさにそれ。きょうとりあえず、株のデイトレをちょっと我慢して、日中ワードで書きなぐってみたら、6000字くらいは書けた。でもまだほんの序の口だ。ぼくは何か、使命を負っている……のかもしれない。妄想でも何でもいいから、とにかくやりたいことをやってみよう。
きょうは下落合で、鉄道警察と名乗る人に呼び止められ、「このひとを知らないか?」と、何か犯罪者と思われる人の写真を見せられた。「知らない」と言うと、すぐに解放されたが、金髪にしていたり猛禽類(ホスト)的服装をしていると、やたら警官が近づいてくるなぁ。ひとは見た目がほとんどということか。そんなふうな題名の新書がベストセラーになる時代だし。
三鷹→西立川→立川と動き、午後は月島→明大前と、都内をほとんど横断した形になった。自分にできるサービスは何か。たくさんやることはあるのである。いろんな衝動やマイナスの感情を鎮めるのに、これは効果がある。
学校の授業自体の仕事はすでに7月の最終木曜で終わっているのに、それ以降今日まで殺人的な忙しさであった。導かれているのかもしれない。
明日からすこし落ち着きそう。平日は株と為替をまた開始しつつ、夏休みの生産的な計画を立てよう。
いろいろとあったが、ここでひとつ仕切り直すしかないようだ。きょうはとてもそれを感じるようなことがあったのである。
自分のことは気が済むまで今回やってみた。それが重要だったのかもしれない。そしてやはり最後に出てきたのは、ステップ7だった。ときが満ちたという感じもした。そしてそれはやはり、遅すぎたのだった。いまさら逆転のできない現実。そしてそれは絶望的な事実なのではなく、たくさんの代替策がぼくには待っているということだった。
今日のミーティングでは、会場にいるみんなに、すべて信頼を預けて、ありのままを話せたように思う。こうやって、生きていけば、生きていくことができるのである。
この夏休みは為替と株に翻弄されながら、ときを過ごすのだろうか。まあ今のところ儲かっているからいいようなものの、負けが始まったら、時間の使い方として、すごく後悔しそうだね。でもまあいろいろとやることもあるし、まあどの夏もそうだけど、職場に出て行く仕事がないというだけであって、他のサイクルはふだんとそう変わらないのであろう。