最近、水・木でぐっと負荷がかかる。きょうは歯医者が治療を中断。痛いならブラシをするなとか、痛くてもブラシをしろとか、正反対のことを言う。どっちなのだ。
授業や会議が明日は続く。副業とはいかに。
平日でもやろうと思えば12時間近い睡眠が取れる。別にやろうと思ったわけではないけど、昨夜仕事から帰ってもうたまらんと思って寝てしまったら、気がついたら朝である。体が要求していたのだ、と思うことにしたい。
理由なくミーティングを休んだのも久しぶり。自分のようなあまのじゃくは、用があって出れないと思うとますます出たくなるので、適度に忙しいくらいがちょうどよいと思う。
ふたたび仕事に行った。なんか仕事しかしてないような生活。こんなことってふつうの人たちには当たり前のことなんだろうか。
仕事がまた一日終わり、団体交渉もあり、そしてミーティングへも普通に行けた。なんたる幸運。そして小人数でお茶飲んで、そして帰宅。23:00。やっぱし、こっちが自分にはふつうだ。慣れてる生活の方がよい。
明日はまた普通の日が続く。歯医者こわい。
第四日曜の三点セットである。地域が午後からになっただけいくらか楽になった。
きょうもたくさんの問題がさばかれ、自分の肩に乗っていたものもたくさん降ろすことができた。これが良いのだと思う。宿題もまたたくさんもらったが、また次回。
九月に常任理事会の主催で広報フォーラムがある。何の因果か自分が実行委員長になっているのだが、きょうは二回目の委員会であった。
午後を使って二時間半。あっという間。前回もそうだったが、ほとんどの議題を積み残して終了。激しく疲労。無力なのであった。
でもこの波の中でもまれ、右から左からパンチを受けまくっていると、確実に成長するであろう。すくなくとも、他の人と同じように「自分も狂っている」ことだけは分かりそうだ。やってる間はしんどいけどね。
あれだけ凝固し腐敗しかかっていた自分の精神状態が、あの一時間半で奇跡のように変化した。自分一人ではなしえなかったこと、である。そして振り返ってみると「他人のそれ」ではなく、自分が今日一日、どのように生き、どのように誠実にやれたかを振り返ることができる。
非常に弱気でしかも苛立っていた一日の前半だったが、仕事が終わり、団交が夕方で終わり、その後の自分は、別の人ではないかと思うほどだった。トンネルはやはりあの一時間半。出てみると雪国…ではないけれど、別の世界があったといってよい。
自分を大切にする。できないことはできないと言う。できることはもったいぶらずにやる。そして不機嫌は何の役にも立たないということのようである。
妄想が走るときには、空に浮かんでみる。これでたいていうまくいくみたい。
といっても家に帰って休んだりしていないのである。池袋で記念集会。最近、言われた通りの時間に行っても、それを指示した本人が来てないというのが頻繁にある。わたしはひょっとしたらバカなのだろうか。それとも奴らがおかしいのか。結論としては、みんな狂っているのらしい。そう思うことにしたい。
魂が錆びている。ここ一ヵ月くらいそうだ。五月の連休明けくらいからとみにそうみたい。たばこでもまた吸い始めるか…。いやいや、問題の本質とは全然違うぞ。
このまま三ヵ月くらい失踪したらどうなるだろうか…とかぼんやり考える。ものごとをテキトーにカットしている人のフォローまではできぬ。ていうか、みんな自分のできることをやっているに過ぎないと思うのだが、原則は自己責任ということなのだと思う。
結果的に明日は有給休暇を半日使うことにした。仕事も結構つまってるんだけど、ブレイク。
〆切は待ってはくれぬ。今週途中までのもの・今週土曜までのもの・日曜までのもの。その順番にやってくしかない。みんな同じように本当にやってるんだろうか。ときどき不安になる。怨みさえするしね。
きょうは本当に久しぶりに、ベーシックなサービス活動。やる気のなさげな人々に話をするとき、ぼくはまさにそのおかげで助かっている。きょうはそれをありありと感じた。
22:00〜24:00はコアタイム。でもここで組合の仕事や実行委員会の仕事をやるしかない。ほんとならはだかになって踊りたいくらいの時間なのだが…(笑)。そのくらい、何をやってもいい時間ということを言いたかっただけで、他意はない。
しかし、こういうことを続けていると、どうしても人を怨む気持ちが生まれてくるね。これはもう仕方ないのだろうか。やらないお前らー、地獄に落ちろー、みたいな。労役や懲戒ならそれもやむ無しだが、自主的無償活動の中で怨んでいては本末転倒である。
蓮の葉の上に浮かぶ、仏のような心でいたいものである。
● ami16 [僕もこの前日記の更新忘れました、ここしばらくなかったのですがやるときはやる(^^;)部屋がかなり片付いてきた、やると..]