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2000-05-14(Sun) [長年日記]

_  午前中は日野で新しい実行委員会の立ち上げに立ち会い、早々に大塚に飛んでこちらは秋のイベントの委員会。これまでの心配や焦りとは裏腹に、何もかもうまくいくような気がしてきました。改めて感じたこと「一人の力でやろうとするのではなく、みんなでやる」と。ほとんど一日休日がなくなってしまいましたが、夕方には帰ってこれました。  國府田マリ子の「Pure」からwavをリッピングして、MP3にエンコードしました。MP3プレーヤに転送して明日からわたしのかばんのポケットにはいつも國府田マリ子。…というよりシャオリン^^;でしょうか。五年も前の曲とは思えぬいい感じの曲ばかりです。こういう(アニメ関連の)方面に最近全然ご無沙汰になってましたので、少しは志気が高まるかも。ツインビーって見たことないんです。


2000-01-24(Mon) ぶっちぎりBanshee~LinuxでQuake2 [長年日記]

_  ビデオカード三昧の原稿を書いたのは、初めて入手したAGPカードのPermedia2のバルク品を買ったばかりの頃だったでしょうか。あるいはその少し前だったかもしれません。Permedia2のビデオメモリの8MBというのは、パラダイムシフトだったかもしれません。なにしろ色数の制限をもう気にしなくていいのですから。これは4MBで1024*768のフルカラー・8MBを超えるともう家庭の17インチディスプレイでは手に余るものになってきます。PCIの2MBのビデオカードはわたしの自作の初期のころの流行だったためか、いまだに何枚もダブついています。定番だったS3のTrio64V、DirectXとの相性出まくりのCL5462、展示会で\1,980-でゲットしたATIのMach64VT。それぞれ癖のあるものばかりでした。

 ともかくその後はビデオメモリの大容量なのは当たり前になってきました。Permedia2の次に買ったのは彼の有名なMatroxのチップの載ったMillenium G200です。MilleniumとMistiqueというと一世を風靡した

金の斧・銀の斧

ですね。流行った当時は一枚三万円近い定価が付いていたと思います。PCの世界にそもそも定価があるのはおかしい…という声も聞こえます。いまでも通なショップではこの初代Milleniumや次の改良版Millenium2を売っているところがあります。どこから流れてきているのかわかりませんが、まだ人気が根強いのは確かなようです。そのあとに出たG200は3D性能もそこそこついたということで、スタンダードな地位を築いたのではないかと思います。わたしが買ったのはG200-LEという廉価版です。G200はメモリチップの種類や容量・オプションの有無でいろんなバージョンがあります。このG200-LEはSDRAMの8MB版で、ビデオキャプチャオプション(Marvelというネーミングでセット販売されている)の端子すらない、一番安いモデルです。秋葉原のOverTopで99年12月現在も販売されつづけていますが、440BX以外のマザーでは動作保証がないという条件が表示されています。Socket7ではどうも動かないらしい…という意味のようです。i740もそういう制限が発覚してから急激に価格が落ちていったのは記憶に新しいところです。このG200-LEはそれほど価格が落ちなかったので、ひょっとしたらApolloとかの互換チップセットでも動くのかもしれませんね(未確認です)。

 発色はよいし安定した作りのこのMillenium G200で別段困る点はありませんでした。ビデオカード選定で一番気がかりになるのは、ドライバです。ふつうのWin95/Win98ユーザーならリファレンスドライバで十分でしょうし、少しくらい不具合があっても今はすぐにWebにアップデートが公開されます。WindowsNTも95と同様のインターフェイスになってから、ドライバの同梱率はほぼ100%に近くなってきました。問題はLinuxやFreeBSDのX windowサポートです。最新のビデオカードはふつうサポートされませんし、たまたまSVGAサーバーで動くとしてもアクセラレータなしではちょっと寂しいものがあります。しかしMilleniumのシリーズは流行したこともあり、いまでは問題なくXが動きます。そういえば話は戻りますがPermedia2は苦労させられました。Permedia2のためにS.u.S.E. Linuxも買いましたし

 …で、とにかく2Dと3Dのそこそこの性能をWindowsで堪能したのち、我が家のメインストリームがLinuxになりました。このあたりのいきさつは前回のときに書いたとおりで、決定的だったのはCannaでの「かな入力」の実現でした。そしてメインOSとしてのLinuxの環境整備に伴って、またぞろ原動力が必要だと感じてきました。何が何でもこのソフト・ハードを動かしたい…という強い願望がなくてはスキルアップは望めないものです。とりあえずわたしが手を出してみたのは秋葉原の外れ・神田川沿いにひっそりと店を構えるCD-ROMショップ「Laser5」で販売されていた「Quake2 with mission pack for Linux」でした。DOOMを超えるゲームにいまだ出会ってないわたしとしては、ここらで一つ打開したいと常々考えていたからです。無印QuakeのDOS版はもちろんすでに買っていました。その後もあの手のアクションゲームとしては「Duke Nukem 3D」「Tomb Raider無印」「Sin」と購入しつづけていたものの、どれもステージ1すらクリアしないまま

CD-ROMの積読状態

になってしまい、それ以上の意欲が湧かないままでした。Linuxになったので転換を図る意味でも、新ゲームの導入は必要に思えたのです。

 CD-ROMを差し込み、マウントして、セットアップスクリプトを動かすと、自動でインストールが進みました。そこまではよかったのですが、空き容量が足りません。ん? なんでだろう。まだ100MBくらい空いていたと思ったけど…みんなハードディスクにコピーしてやろうとすると200MB~300MBくらいは軽く必要なようです。最近のゲームときたらDOSやWinだけでなく、Linuxですら容量大食いなんですね。Winと違ってファイルシステムの一部を別パーテーションにするのはLinuxでは簡単です。ドライブの概念というのがなく、どのツリー以下をこのパーテーションで…という「ほんものの」Directory構造ですね。とりあえずわたしは/usr/local/gamesを別パーテーションにとってみました。そして再びセットアップスクリプトを走らせて、cd /usr/local/games/quake2とやって、./quake2で無事起動しました。DOS版のときに十分遊んでいなかったので、QuakeとQuake2の違いがいまいちわからん。しかしまぁ問題なく動いているし、音も出ています。これってCD-ROMの音楽トラック読んでるので、MIDIでやるときみたいに苦労しなくてすみます。差し替えればほかの音楽でもいけます。宇多田Quakeとか、エヴァQuakeとか…^^;。最終面でベートーベンの第九とかが演奏されるように音楽CD焼いとくといいかも。

 しばらくはそれで遊んでいられたのですが、どうも気になるオプションメニューがあります。英語びっしりの小さなマニュアル冊子にも出てきますが、glideとか3dfxとか…。ビデオカードによってはハードウェアアクセラレーションがかけられるようです。あっ、これはDOS版のTomb Raiderと同じだ、と気がつきました。OpenGLとかを使って美しく速く描画できるというやつですね。よくよく読めない英語を必死で読んでみると、3Dfx社のカード(正確にはチップ)を使えばそれが実現できるようです。Tombのときも確かそうだったと思いましたが、その頃はまだまだVoodooカードがむちゃくちゃ高くて(当時三万円以上だった・嘘みたい…)手を出せる価格ではなかったので、単に諦めたのでした。しかし今(1999/下半期)はどうでしょうか。すでにVoodooシリーズは第三世代の商品「Voodoo3 3000シリーズ」が主流で、初代のVoodoo Graphicや次のVoodoo2(3D専用)・Voodoo Bansheeといったあたりは型落ちで叩き売り状態です(もう中古市場にしかないものも多い)。そこでVoodoo Bansheeを購入することにしました。バルク品がまだいくらか出回っているし、軽く一万円台を切っています。商品としてはMonster Fusionのバルク品を秋葉でゲットしてきました。Win95が出たばかりの頃に買って痛い目に会ったDiamond社の製品ですね。でもチップが3Dfxなのでボードメーカーはどうでもいいと思いました。EDGE 3Dの流れを汲むTNTシリーズにどうも手を出せないのはこの辺のトラウマがいまだに尾を引いているからだと思います。

 買ってきまして、早速AGPポートのG200を外し、Bansheeを取りつけました。Win98/WinNTのドライバは簡単に入りました。そしてまずやってみるのはHDBENCH(もう定番)ですね。ビデオのベンチマークを取ってみて驚きます。G200で驚いたスクロール性能があっけなく打ち破られました。

こんなに速いスクロールははじめて

です。次に驚いたのはDirect3Dです。BansheeのDirect3Dベンチを見て、ああこのテストはこういう動きを目指していたのか…とはじめてわかったような気がします。

 そして次は問題のLinuxです。Vine1.1を使っているのでXのバージョンはXFree86の3.3.3です。G200と同じSVGAサーバーで動くはずなのに、startxと打ってもディスプレイが「プチ」というのみで、コンソールの真っ暗闇に戻ってしまいます。インターネットでXFreeの情報を入手してみたところ、Bansheeが動くのは3.3.4以降ということがわかりました。うーん、惜しい、あと0.0.1くらい負けてくれんのかいな。競売じゃあるまいし負けてはくれません。そこでPermedia2のときにもさんざんやった、X-Serverのバイナリだけダウンロードしてささっと入れ替える、という一番労力の少ない手段に出ました。これで無事bansheeでXが起動するようになりました。気のせいかマウスの動きがやけに滑らかな感じがします。ほんとに気のせいでしょう^^;。ディストリビューションごとの比較記事がよくLinux雑誌に出るようになりましたが、いまのところXFree86のバージョンが3.3.4以上でBansheeがちゃんと動くものは、TurboLinux4.2とRedHat6.1です。X-Serverを入れ替えるだけですとX-TT(日本語フォントを簡単に追加できるサーバー)がうまく動かなかったりするので注意してください。わたしもこれに気づかず無用なfont.dirの作り替えに無駄な労力をかなり使ってしまいました。

 無事にBansheeでXが動くようになりましたが、まだQuake2のハードウェアアクセラレーションが効きません。ハードウェアアクセラレーションの方法は、ごく最近3DfxのWebページ(driver/linuxのセクション)で丁寧な説明が掲載されるようになりました。これには本当に腹が立ちます(笑)が、わたしの苦戦していたときにはそれがなく、インターネット上に散らばる数々の英語のドキュメントを読み比べて、一歩一歩やるしかありませんでした。せめてもう2ヶ月早く公開してほしかった^^;。詳しいことは3Dfxの公式ページを読んでいただければよいと思いますが、それでここに何も書かないと元も子もないので概要だけ書かせていただきます。rootで作業する時はシステムを壊すこともありえますので、ダウンロードしたパッケージをインストールするときは付属のreadmeファイルを必ず読んでくださいね。

 まずデバイスドライバのソースファイルDevice3Dfx-2.3-1.src.rpmをダウンロードします。--rebuildオプションでこのrpmをインストールすると/usr/src/redhat/RPMS/i386/Device3Dfx-2.3-1.i386.rpmが作られますので、これを改めてrpmコマンドを使ってインストールします。rebuildの際にエラーが出るようだったら開発環境が入っていないということです。開発環境といっても大仰なものではなく、makeなどのいくつかのパッケージが入っていればいいはずです。

 次はglideのインストールです。手持ちのLinuxがglibcの2.0か2.1ベースだったら、それぞれに応じてGlide_V3-2.60-8.i386(.glibc20).rpmをダウンロードし、インストールします。これはバイナリパッケージなので簡単ですね。gnomeだとgnorpmを使うとよいし、もちろんglintやturbopkgなどでインストールしてもOKです。

 これで用意が整いましたのでLinuxを再起動し、Xを16bitモードで起動し、フルスクリーン解像度でdemoを動かしてみます。Xの色数をあらかじめ強制的に決めるには「startx -- -bpp 16」で行けます。16ビット以外のときは例えば8ビットなら「startx -- -bpp 8」ですね。フルスクリーンはおのおののXが1024*768であるか800*600であるか、確認すると良いでしょう。肝心のデモファイルは/usr/local/glide/bin/test3dfxです。うまくデモが動くと赤い文字で「a」のキーを押すと始まる旨、英語で促されますので、おもむろに「a」を押すとよいでしょう。閃光がきらめき、3Dfxのロゴがくりくりっと高速回転しデモが終わります。ここまで動いたら

勝ったも同然

です。

 次にMesaLib-3.1のインストールです。(なお、Mesaは特に追加しなくても動くというような気がします。Glideパッケージにすでに含まれているんでしょうか。quake2のCD-ROMにはMesaのバージョン2のシェアードライブラリが入っていたように思います。まともに動くようなら、以下の操作は必要ないと思いますので、Mesaのバージョンを上げたい・ぜひインストール方法を身につけたい人だけ参照願います。もちろん動作保証などわたしはしません。) Mesaのソースファイルはhttp://www.mesa3d.org/などにありますので、どこかの適当なミラーサイトで入手し、tar.gzなどの圧縮ファイルを展開してコンパイルします。しかしただ単に「make」だけではヘルプが表示されるだけで何も起きません。このヘルプをちゃんと読むためにはパイプをつけて例えば「make | less」がよいでしょう。lessを抜けるには「q」です。lessの抜け方がわからなくて毎回リセットしていた…という笑うに笑えない話をどこかで聞きました。Bansheeでインストールするにはmake linux-386-opt-V2-glideだったでしょうか。問題無くmakeが終わったら、できたバイナリファイルを/usr/libなどの/etc/ld.so.confで指定してある場所にコピーしてください。そしてldconfig -vでシェアードライブラリを更新するおまじないをしてはじめて新しいライブラリが使えるようになります。あとはQuake2をXのソフトウェアモード./quake2 ref_gl softxで起動してから、glideモードに切り替えてやるだけです。ここにこう書いてしまうとすごく簡単ですが、わたしの場合なかなかmakeが成功せず、何度もmakeとmake cleanを繰り返しました。シェアードライブラリだってぜんぜん言うことを聞かず、/etc/ld.so.confを何回となく編集したし、架空のディレクトリを作ってそこにMesaのファイルをコピーしてみたり、試行錯誤しました。コンパイルのことひとつにしても、FreeBSDのカーネル再構築程度しかやったことがなかったし、ldconfigの仕組みもわからないままDOOM2でsvgalibをかろうじてなんとか動かせた程度でしたから、今回の悪戦苦闘で多くのものが得られたと思います。結果のglideアクセラレーションはたしかに滑らかですが、CPUパワーのある最近のマシンではソフトウェアレンダリングでもそこそこきれいで速いので、何も無理に苦労してコンパイルしなくてもよかったような気もします。コンソールのソフトウェアモードでも何の不満もない描画品質ですから、3Dfxは必須ということはぜんぜんありません(これは保証します)。コンソールなら少し昔のTridentやATIの激安ビデオカードでも問題なく動くかもしれませんね。

 逆にハードウェアアクセラレーションをかけたことによって、不都合もあります。わたしのマシンの場合(ていうか設定が甘いのかもしれない)、マッピングがうまくいってないようで、Quakeの

キャラたちがのっぺらぼう

なのです。また、拳銃を撃っていると突然拳銃の弾丸が止まらなくなり、いつまでも打ちつづけて他のキーを受け付けなくなったりします(これってハングアップ?)。フルスクリーンモードだからかもしれませんが、マルチタスクで別のタスクに逃げようにも逃げられず、Alt+F1,F2といったタスク切り替えも効かなくなります。やっぱりハングアップだわ。だれか同じ症状の出てる人、お知らせください。Xを16ビットで起動しなくてはいけないというのも悔しいですね。わたしのビデオメモリをかえせー…みたいな。動きはしたものの安定してないので使う気になれない…というのはLinux版DOOM2も同じことが言えました。LinuxがせっかくメインOSにのし上がったというのに、いまだにDOOM2をやるときはWindowsを起動してるわたしっていったい何。しかもDOS/V版なのだからDOSだけでいいはずなのですが、CD-Rに膨大なwad集(専用線を使ってftpでごっそり落としてきた)を焼いてしまったので、その読みこみにはWindowsがあったほうが楽なんです。いまさら16bitのCD-ROMドライバなんてconfig.sysに書く気がしない、ってことですね。

 話を元に戻しますと、Linuxのデバイスドライバの組み込みというのは、Windowsのようなレジストリというデータベースの介在がない分だけ、単純で見通しがよいものと言えます。要するにすべてファイル単位で物事を進められるということです。基本的にLinuxではカーネルからハードウェアを使えるようにして、そのあと追加モジュールという形でイーサネットやSCSIなどが利用可能になります。今回触れたようなビデオカードに関しては、基本的にはXFree86のそのバージョンで動くかどうかにかかってきますし、これを設定するためのツールはXconfigurator(コンソール版・ほぼ自動)・XF86Setup(VGAのGUIベース・自動)・xf86config(コンソール版・対話的ツール)の三種類が主なものです。経験的に言えるのは古いボードは比較的簡単に動きますが、発売後一年も経っていないような新しいカードの設定は苦労させられます。みなさんもご存知の通りビデオカードの発売サイクルはどんどん加速する傾向にあり、いくらリニューアルしても追いつかないほどでしょう。もちろん最新の物は高いし、財布の中味も追いつきませんね。しかしPC-UNIXの世界も負けていなくて、XFree86のバージョンも次々に上がっていきます。そのたびに新しいビデオカードが動くようになっていきますし、この動きを見ているのはわたしの一つの楽しみでもあります。ただ、AGP2xとか4x・テクスチャメモリの高速化とかはWindowsのドライバあってこその話ですので、高いカードを宣伝に乗せられて買うのであれば、メーカー推奨どおりのWindows環境でそれなりのゲームを使い倒さないと採算は取れないでしょう。Linux関連では2DのデスクトップGUI環境がやっとのことでWindowsに迫ってきたという感じです。タスクバーにショートカットを登録したり、まともに日本語化されたソフトをユーザーが使えるようになってきたのはごく最近1,2年のことです。これはKDEやGNOMEといったデスクトップ環境の進化が大きく貢献していると思います。fvwmやqvwmといったウィンドウマネージャの設定ファイルをエディタで開いて、一つ一つ編集しなくてはならなかった苦難の日々を考えると、ここ最近のLinuxのお手軽さはMS-Windowsに近づいてきているのではないでしょうか。このあたり、質素を旨とするFreeBSD陣営も焦りを感じているのか、3.4-RELEASEのインストーラはLinuxエミュレーションを行うかどうかたずねてくるのが面白いですね。FreeBSDのインストールが終わりX windowを起動すると、

いまだにtwmが立ち上がり、

味も素っ気もないターミナル三つと時計のみがデスクトップに出てくるのには、反骨精神すら感じさせられます。

 いまどきのOS全般に言えることとして、コンピュータの内部の事情はわかりにくいがインストールも使い勝手も簡単。しかしまともに動かないときにどこをどう直したらよいのかわからない。ツールはあっても、それ自体が動かないとお手上げになる。しかも全体的に重い…。ラッピングされているからなんですよ、何もかも。外部メモリの搭載量が最低128MB。192MBとか256MBも当たり前…って世界、なんかおかしいと思いませんか。某日電の9800シリーズを使っていた頃は、みんな4MBや8MBで十分な仕事ができてましたよねえ。でもラッピングが一概に悪いとも言えない面があります。グラフィカルなツールで全体を統一したことで、これからコンピュータを始めようとする人のPCに対する心理的な壁が低くなったことは否めません。特別な教育や訓練を受けなくても、テレビや家電を扱うのと同じようにコンピュータが使えるようになったのはすばらしいことだと思います。携帯電話の爆発的普及と共に電子メール利用者も増加の傾向にあります。各家庭で当たり前のように家電のROMに組み込まれたMozilla互換のブラウザが動き、インターネットのWebページが閲覧できる時代が目の前まで来ているのです。簡単なインターネット接続サービスで利益を得ようとする企業と、安い費用で情報を得ようとする顧客の思惑が一致したのです。ですから「インターネットするにはコンピュータが必要。それには20万円以上の投資が必要」という図式は壊れようとしていますね。携帯やPDAでブラウザが動いてますし、いくらAppleやPCメーカーがP3やG4の高価なPCを売り込もうとしても、もう客はたくさんの金を出しません。この自由競争の中で、軽くて速いLinuxが一気にのし上がるんじゃないでしょうか。WinもDOSもMacもLinuxも共通して言えるのは、専門知識が必要で困難な作業はインストールやソフトのセットアップ・プログラム開発に限られるわけですから、使う側から考えれば、とにかく電源を入れて使いたいソフトが問題なく動けばいいわけです。現時点で主流になりつつあるのは10万円前後の安売りPC/AT互換機+Windows98プレインストールといった線でしょう。メールの読み書きやWeb閲覧ができてワープロも打てる・もちろん日本語にも対応しなくてはならない…となると、Linuxはもう一歩という感じがします。OSがDOSからWinに急激にシフトしたのは記憶に新しいことと思いますが、DOSが嫌がられたのは

「コマンドラインが嫌だ」

という一点だったのではないでしょうか。文字をたくさん打たないといけない・面倒・覚えることが多すぎる…といった理由でコンピュータに一目置いてしまった人は多かったと思います(わたしもその一人か…)。Windowsも95あたりは構造が単純だったのに、98になってからIEのバージョンアップ・Outlookの複雑怪奇さ(シフトJISコードをメールにして送ってしまうなどという言語道断なソフトは、知ってる限りOutlookだけです)でMSは自分の首を絞めようとしているとしか思えません。しかも起動に時間がかかるし。長時間かかる起動は、わたしはNT4.0で慣れているつもりでしたが、Windows2000は半端じゃないですね。とくにServerはすごい。疲れてるときなんか、眠ってしまうぞー。下手すると三分近くかかります。8MHzや10MHzの古きよき某日電パソコンでも、メモリチェックが終わった後プロンプトが出るまで、どんなに長いコンフィグ書いたって一分かかった試しはなかったというのに。あの巨大なWindowsレジストリがみんな悪い。Linuxは1~2MBのカーネルでほとんど事足りるのです。もうすぐ発売のPlayStation2は中味はLinuxという噂ですが、専用機ですからカスタマイズの必要もないし、これは憶測でしかありませんがカーネルはきっと数百キロバイト(0.1~0.9MB)なのではないでしょうか。

 Linuxの有用性を展開するつもりでしたが、はっきり言ってそうでない面もあります。ソフトが少ない。これは致命的ですね。PC-FXが売れなかったのと同じですか。今後増えるかどうか…はわたしにもわかりません。ソースコードが全部あからさまに公開されているので、その気になればいくらでも直せるというのが一番強い力でしょう。しかしその気にならなければ、依然として「文字をたくさん打たないといけない・面倒・覚えることが多すぎる」という、DOSのときと同じ原因で初心者ユーザーが寄りつかないという現実は受け入れなくてはならないでしょう。コンソール画面に指先からつむぎ出される呪文のようなコマンドラインオプションにしびれてしまう傍観者は今時いないでしょう(これは大学のころのわたし・呪文をつむぎ出すのはもちろんわたしではなくて、研究室の某芦野ドクター。おっと実名だ!)。

 というわけでせっかく動くようになったLinuxでの3Dfx Bansheeのハードウェアアクセラレーションでしたが、とある理由でBansheeはメインマシンから外してしまいました。メインマシンでは今Permedia2が復活しています。Xも入れ替え、Windowsのドライバも入れ替えてしまいました。ときどきこうやってダウングレードを挙行するんですが、ハードウェア性能を落としても大して体感できないことがままあります。パーツを少しずつ入れ替えることで自作コンピュータというのは生きたマシンになるわけで、次々に仕様が変わることで不安定要因にもなります。だいぶ入れ替わってサイボーグ状態になってきたなぁ…という頃合で、思い出したようにすっぱりとOSを入れ直す、というのが常套手段ですね。とくにWindowsの場合は膨れ上がったレジストリが一気に小さくなりますから、パーテーションの初期化とOSの再インストールは

体感速度が劇的に向上

します。例えばわたしの職場のマシンのNTFSパーテーションはずっとOS入れ替えをやってませんが、一年前のベンチマークとはかなりの差が出ています。その点Linuxはレジストリがありませんので、Windowsのように使いこめば使いこむほど遅くなっていくということはありません。

 今回取り上げたBansheeビデオカードは、もう秋葉原の第一線から退いています。入手は困難かもしれませんが、でもまだ探せば新品も見つかるでしょうし(Creativeの3D Blasterということで採用されていたときがあった)、バルク品の処分で出物にもなりそうです。そこら辺のRiva128無印やG200よりははるかに高速なので、5000円以下だったりしたらみなさんも買ってみて試していいのではないかと思います。もちろん最新鋭のG400とかTNT2とかGeforceに比べたら見劣りするかもしれませんが、3Dfx BansheeはDirect3Dを動かしてみるだけでも買う価値があると思えるカードです。


1999-11-12(Fri) [長年日記]

_ 疲労感いっぱいのまま、一週間が終わりました。すべてやり終えたという充実感もありますが、まだこれからのことも。昨日あたりからわたしのメーターは振り切れていたようです。しかし、こういうときこそ新しいものが生まれてくるような気もします。  昨日深夜、過去の「今週のLD」を復刻し、三つほど再公開してみました。停滞気味(安定ともいいますが)の当Webをすこし活性化したい気がします。大きな変更はできませんが、3MBほど増量して、ついにwww総容量が100MBを越えました。うちのプロバイダのエアーネットさんはハッカーに親密にしてくれるとあって、telnetはフルで公開してくれてますし、cgiも思いのまま。ユーザーディスク容量はquotaコマンドで知ることができますし、dfなんかもできるので、サーバーがどんな風に構成されているかも知ることができます。こういうオープンなプロバイダは信頼できますね。外部ネットワークからftpはおろかメールの読み書きさえ禁止している厳しいところもある一方で、エアーネットさんはよくやってくれてるというか、ユーザーを信頼してくれていると思います。念のため付け加えますが「ハッカー」とはマスコミ論調では悪者のニュアンスがありますが、本当はスーパープログラマのことです。悪いことするネットワーカーは「クラッカー」ですね。先日NiftyServeをついに退会しました。いうまでもなく@niftyが発足し、旧来のユーザーを差別的に扱っている姿勢を感じたからです。


1999-09-29(Wed) 最弱Linux [長年日記]

_  おかしなタイトルですねぇ。たしか「最強! Linux」なんていう書籍の題名は聞いたことがあったような…。わたしの場合PC-UNIX歴は浅くてまだ二年です。だからまだまだLinuxは最弱です。エラーが出てバイナリが動かなくて、途方に暮れる^^;という場面にたびたび出くわします。わからなくて手出しできない部分がまだ山のようにあります。Windowsだと開発部分に踏み込むケース以外は「わからなくていい」ということが往々にしてあります。ユーザーはMicrosoftの意のままに操作してればいいということで、変に興味を持ってシステムファイルやレジストリをいじろうとすることは、「危険」なのでやめなさいと言わんばかりの警告があふれています。Win98でWindowsフォルダを開こうとすると、隠されるというのはどういうことでしょうか。ユーザーというのはMicrosoftからは信用されてないんだと感じますね。DOSから続いているユーザーであれば、どのファイルがどこにあってどれがテキストでどれがバイナリか…ということは当然いちばんはじめに押さえなくてはならない基本でした。でもWindowsになってからはそういうのは余計なことらしいです。それが世の中の趨勢かと思っていましたが、LinuxやFreeBSDではやはり何もかもがファイルで管理されていました。ディレクトリとかも、もともとUNIXのものをDOSがまねたという歴史的経緯もあるという話だし、DOSの知識は無駄になっていないと思います。逆にMacやWinのGUIなインターフェイスしか知らないとしたら、Linuxのコンソールなんて

ただの真っ暗闇でしかない

かもしれません。Windows95プレインストールのパソコンをはじめて購入して、DOSアプリを動かしたら、パソコンが壊れたと思ってうろたえた人が続出したという話は、笑えない事実です。画面に衝撃が走るし、急に真っ暗になったら誰だって怖いっす。いったんGUIインターフェイスに慣れてしまったわたしたちは、果たしてテキストベースのコンソールに戻れるのでしょうか。しかしX windowもありますし、起動時のログインから既にXが立ち上がってくる仕掛けであるxdmというパッケージもあります。最近のTurboLinuxとかはよくできたもので、インストールもびっくりするくらいの簡単さになってきました。そしてインストール直後からXが使え、デスクトップは完備され、ネットスケープも日本語化したものが立ち上がってくる…という至れり尽くせりです。ネットスケープメールのフィールドにカーソルをクリックして、Shift+スペースを押すと、いきなり日本語入力が可能になってしまったのには驚愕しました。あぁ、もう、何にもしなくていいんだ…ぼくらは…みたいな(笑)。でもやはりいろいろわかっていないと動きが取れなくなるのは事実です。何にもしなくていい…といっても「Windowsの何にもしなくていい」とは質が違うので、やはりアプリを追加したり設定を変更したりするときには、ターミナルが必要です。全部GUIでやってしまうというのは確かに理想でしょうし、実際GNOMEやKDEはそれに近づこうとしていますが、これが成熟するまでにはまだまだ時間がかかるでしょう。

 わたしがメインのOSをLinuxやFreeBSDになかなか切替えられずにWindowsNTを使い続けていたのは、大きな理由が一つありまして、それは「かな漢字変換」でした。何度かWebでも書いてきたと思いますが、わたしははじめてJISキーボードを触れたときから一貫してかなタイパーだったのです。ですからデフォルトでローマ字入力を前提としているPC-UNIXのフロントエンドを変更しなくてはならないのです。これはもう効率がどうとか良い悪いの問題ではなくて、指が平仮名打ちしかできないのです。無理してローマ字打ちをやれば打鍵数がほぼ倍になるだけでなくキーの場所も不慣れなので、同じ文章量を打つのにも3倍~5倍の時間がかかってしまいます。これではとても使い物になりません。しかしLinuxにはWindowsのIMEみたいに、ボタン一発でローマ字→かなを切替えられるものなど存在しないのです。

 ただ、ひとつだけ比較的簡単に設定を変えられるものがありました。それは商用のVJE-Deltaです。試用版で試してみたところ確かにかな入力ができたのです。早速、今まで使ってきたhtmlなどのテキストを編集しようとしてみたところ、また新たな難題にぶつかってしまいました。VJE-PENというエディタは日本語DOSテキストのS-JISコードを通してくれず文字化けしてしまうということでした。他のEmacsとかに日本語変換だけVJEを使えるようにしてやればいいのですが、それもけっこう面倒です。ああ面倒なことばかり。おまけにEmacsってむちゃくちゃ重いし、ファイル保存すると「*.*~」みたいな気色悪いファイル名のファイルが勝手にできるしうまく消せないし、な~んか嫌な感じ。そもそもソフトがみんなディストリビューションについてくるのがLinuxの特長であり強みだったはずなのに、なんで有料ソフト買わねばならんのだ。しかもそれをNetscapeやEmacsで使うだけでもごちゃごちゃ設定しなくてはいけなくて、ちょー面倒。もうやめよっか…って感じでした。

 最初からどの日本語Linuxパッケージにも入っているCannaにもかな入力を設定するファイルがついてくるのですが、これを設定しても出てこない文字があるのです。たしかに大部分のかな打ちができるのですが、「ね」「る」「む」といった句読点からみのキーが出てこないのです。必死になってインターネット中をヒントを求めて探し回りました。このときかな入力の需要など世の中に何%もないという現実を知りました。わたしは少数派だったのか……。答えは出ません。いつまでもいつまでも、この「ね」や「る」が出ない問題の呪縛にとらわれ続けて生きていかなくてはならないのか、というと大げさですが、実際にそれが大きな理由でメインOSをLinuxに切替えることができないでいたのです。

 しかし、ついにこの出ない文字を出す方法を知ることができました。どこかの掲示版でその答えを見つけたのだったと思います。場所はもう忘れました。まとめますとCannaでかな入力するにはつぎの手順を踏めばOKです。

Cannaでかな入力をする方法

   設定ファイル/usr/lib/canna/default.cannaを探す。ディストリビューションによっては/var/lib/canna/default.cannaなど違う場所にあることもある。エディタで編集します。
   (setq romkana-table "default.cbp")を(setq romkana-table "kana.cbp")に変更する。
   「;;シンボルの定義~」以下の行を全てコメントアウトする(行頭に;;をつけるだけです)。
   ファイルを保存したら、cannaserverを再起動。ps axやプロセスといったことがわからなければ、Linuxを再起動しちゃえば間違いないです^^;。
   これで全てのかなキーが使えるようになります。106キーでは「を」はshift+\、「ろ」はshift+@なのがちょっと使いづらいですが。

 これで全てのキーをかなタイプできるようになりました。ということで第一の難関突破です。これでもうなんの心配もなくLinuxに移行できるぞと思い、慣れ親しんできたWindowsNTをいとも簡単にパーテーションごと削除してやりました。うっしっし。これでもうフリーズ強制リセットのときにWin98が勝手にScandiskかけて、NTFSのパーテーションをズタズタにしてしまう…なんて事故の被害を受けずに済むぞ(何度か起きた実話ホラーです)。そしてLinuxメインの生活が始まったというわけです。

 わたしの場合メインとして使うためにはまず、インターネットへの接続の確保・そして快適なftpとWebの徘徊・メールの読み書き、といった条件が必要です。動かし始めた最初のメインはバージョン1.0で勢い込んで高価な「Pro版」を買い、その後も順調にベンダーの甘い誘いに乗ってバージョン1.4, 2.0, 3.0と買い続けてきた「TurboLinux」です。先日最新のバージョン4.0も買って、カーネル2.2.9でDual Processorにも対応!と喜んでいました。日本語設定やパッケージ管理も簡単で、あのSlackware+JE0.9.7の設定を繰り返していた

毎日が困難と辛苦に満ちていた日々

を考えると、こんなに簡単で飯田橋??だったのですが、そのうち悪いところが目につくようになってきました。やたらturboなんとか~という独自設定のユーティリティーが多すぎて、汎用的なLinuxのスキルが身についていかないのではないか…という不安。実際、SlackwareやFreeBSDで努力して積み上げてきた経験が役に立たない場面に何回か出食わしました。それだけならまだよかったんですが、リリースされたばかりの上位のカーネルを使っているせいか、堅牢なはずのOSがよく凍るのです(最近のbug fixをパッチあてすればどうかはわからない。PHTの名誉のため念のため)。Xだけ凍るならまだしも、全体が凍ったんではWindowsと変わらないじゃないか。コンソール版のDOOMが凍るのはなお痛い(これはどうもサウンドサーバーがうまく設定できていなかったみたい)。ということで他のディストリビューションに乗り換えることにしました。あとの候補のLinuxとしては、rpmパッケージの簡便さを考えると、RedHat系列しかないと思いました。Laser5の製品がまず頭に浮かびましたが、あれはどうしてもプリンタの設定ができずに苦労したし、ちょっと派手で重いかなぁ…というのが率直な印象でした。あとはネットワーク越しのSambaプリンタ(Windowsにつながったプリンタ)も楽々使えて、しかも軽いし日本語化がきめ細かいパッケージということで、白羽の矢は「Vine Linux 1.1」(ヴァイン リナックス)で落ち着きました。現在Vineを愛用しています。ftpもNetscapeもばっちりです。デスクトップ環境はgnomeは中止し、WindowMakerにしています。ダイヤルアップの「ppxp」で簡単に二つのプロバイダの切替えができるし、Vine Editorもシンプルでいい感じです。エディタはしかし日常の血肉でもある道具ですので、Emacsほどの重さは要らないが、そこそこの機能は欲しい、そしてわたしはWindowsからの転向組ですので、身についたカットアンドペーストのショートカットはあまり変更したくない、ということで条件を満たしてくれるエディタに出会いました。それはビレッジセンターから試用版の出ている「xzエディタ」です。昔懐かしいDOSのVZと言ったらご存知のかたも多いのではないでしょうか。あれのX11版のようなものです。まだ製品化前のαバージョンですが、なかなかグッドです。今もこのhtmlをxzで書いています。製品版出たら確実に買ってしまうでしょう。それこそベンダーの思う壷^^;。

 次は当Webの要でもある、平面の2Dグラフィックですね。画像処理するたんびにPaintShopやPhotoshop使いたさに、いちいちWindows立ち上げていたんでは何の意味もありません。そこでPhotoshop以上の高機能といわれて名高い「gimp」を使うことにしました。なるほど、これはPhotoshopでなければできないだろうという処理の数々が、どれもgimpの中の当り前のような機能として入っていて、非常に驚かされました。フォトレタッチならWinかMacという固定観念は打破されたのです。自分なりにPhotoshopは使いこなせている域に達しているという自負がありましたが(もちろん、だからこそそれを学生の皆さんに教えられる余裕もある)、gimpの数々の機能とオプションの豊富さに圧倒されているこの頃です。JPEG圧縮の圧縮率の細かい設定などは、Photoshopでは足元にも及ばないでしょう。もちろんレイヤーやフィルタも思いのままです。しかも処理が速い! まさに最強の画像レタッチソフトです。それを使うわたしの技術力が全然まだ足りないのを感じます。わたしはまだまだLinux使いとしてはタイトル通り最弱の限りであることを、gimpの前では痛感します。

 せっかくLinuxをメインに据えたのですから、お次はゲームですね。ゲームの土俵ではWindowsには叶わないかも…という現実もあります。実際、某新手のLinux誌ではLinux上でWindowsエミュレータを動かし、その上で

某マルチ嬢が「ふ~~~~~~」

って倒れている魅惑的な画像を掲載していました。しかしこれも所詮はWindows版のゲームです。だったらそんなややこしいことしないで、楽で・きれいで・処理も速いWindows上でゲームを楽しめばいいのです。グラフィックボードもWin98版のドライバの開発の素早さと更新頻度なら、十分練られているしバグフィックスも小回りが効くし、性能も発揮できているのではないでしょうか。実際今でもDOS版のDOOM2をやるときはWindows98のDOS窓に行きます。そうではなくて、やはりLinux版の伝統的なゲームをやる…というのが王道でしょう。で、秋葉の外れのLaser5で手に入れたのが「Linux版quake2 with mission pack」でした。

 ソフトウェアレンダリングはあっけないほど簡単でした。CD-ROMをマウントしてsetupスクリプトを動かしてやるだけです。音も出ますし処理速度もまぁまぁ。で、更に今度はハードウェアレンダリングです。手持ちのMillenium G200でやってみたところ、……愕然の一言。むちゃくちゃ遅いのです。実用に耐えないほど。Milleniumの名誉のためにいうと、G200っていったってこれは2Dに特化したカードなのです。3Dゲームは弱いのは当り前です。Xの色数を16ビットにしてやると、まぁ許せる程度にまで動きました。さてさてどうしたものか。情報集めに入りましたが、あちこちで出て来るキーワードは3dfxです。これは有名なビデオチップベンダーの名前ですね。Voodooといえば3Dゲームが驚異的なスピードと美しさで動くことは周知の事実です。2Dもけっこうイケるらしく、仲間からもVoodooのスクロール性能の素晴らしさがHDbenchで実証できたような話も聞いていました。

 このLinux版quake2のマニュアルにも、3dfx製のチップの乗ったボードならハードウェアレンダリングができるようなことを書いてあります。「ような…」というのは全文英語なのです。困難ですなぁ。英語圏に生まれたら楽だったろうに^^;。インターネットで情報集めを行い、次のお買いものはVoodooBansheeに決定しました。

 秋葉原を見て回るとBansheeは一年前に一世を風靡したのでお値段も手頃。型落ちのDiamond Monster Fusionをゲットしました。Edge3D以来Diamond製品は決別したはずだったのでは……→kiyochan。Edgeが\38,800-だったことを考えると、性能は桁違いに素晴らしいこのBansheeが約1/5の値段です。信じられない技術の進歩~。わくわくして家路についたのですが、これからがまた困難と辛苦の日々だったのです。……次号へ続く。


1999-04-24(Sat) [長年日記]

_ バスハイクの留守番も無事終わりました。ひとり学校の鍵を締めて帰るのは、なんとなく寂しいものですが、わたしにでもこうして責任を任せてもらえるというのはありがたいことだと思います。今日は公式Webの中味をかなり書き替えました。もちろん独断ではなく、上司の指示を勘案しながらですが。公式なものなので、とくにインターネットが流行っている昨今では、Webはかなりの力を持ったメディアだと言わざるを得ません。htmlで培ってきた技術も生きてきますし、とくにPC-UNIXの中で学んだことは、実践してみてよく分かるというものが多いです。個人的なWebのこのページの存在も、自分としてはかなりのスキルになってきたのだな……と感じます。「電撃」をやってなかったら、表組みとかのあんなめんどくさいロジック、解析するだけで骨が折れて、ましてや自分で書くなんてできなかったかもしれません。わたしは今でもhtmlはテキスト直打ち!の信念でやっています。DreamWaverやHomePageBuilderなどのツールも、必要に応じて利用することもありますが、なんか勝手にタグ入れられたりインデントされたりすると「勝手なことすんなー」と叫びたくなりますが、叫ぶとただの変人ですから、入れられたタグを手作業で消したりしてその場の気持ちを鎮めるのです(笑)。見て!見て!この苦労の結集。そのまんまより、ソース見てくれって感じです。全部直打ちしたんす。色分けがポイントですね。シンプルですけど、時間はかかったぞぅ。  あいにくの雨模様ですが、秋葉に出れたらいいなと思います。夜は予定が入ってますので、その前にでも。


1999-04-12(Mon) 秋葉で何も買わないで帰ってくるなんて! [長年日記]

_  毎週アキハバラには出ています。二週間空けたりすると、もうわたしは過去の人になってしまったか……みたいな錯覚を覚えさせる街です、秋葉原。それくらい楽しい秋葉原ですが、最近のわたしはどうも不調なのです。何が不調かって、それは

秋葉で何も買わないで帰ってくる

ことが多々あるのです。ただ単にお金がないだけなら納得も行くのですが、先月のある日なんて財布の中に\50,000-入ってたんですよ。ご・ま・ん・え・ん(笑)。衝動買いでもしてスカッと行こうと思ってたのに、なんたる弱腰。慎重すぎ。あの廃人傾向はどうしたっ!…って感じですね。これは秋葉erであるわたしの危機かもしれません。今回はこの原因追求と現状打開を目指し、最近のわたしの足元を振り返る意味でも小文を書いていきたいと思います。

 モノを買ってきて一番困るのが置き場所の問題ですね。アメリカンサイズな住宅事情ならともかく、ワンルームマンションに詰め込まれるように住んでいるわれら大和民族としては、PC・配線・モニタなどなどの占有場所の確保をするのは至難の課題です。民族はどうでもいいとして、東京のアパート・マンションはみんなこうだと思います。うちの床面積は約16m2です。いやー、畳でいうと五畳分ですな。ここにある自作PC群がなんと三台です。過去の資産を生かすためのNEC PC9800も含めると、つごう四台のPC本体があります。モニタが大・中・小でつごう三台。余った隙間にところ狭しと這い回るイーサネットのケーブル・電源ケーブル・ISDNケーブルたちが床を占領しています。こんな中でどうやって寝るのか、これも過去からの大きな課題でした(笑)。しかし不思議なことに布団一枚分はしっかり確保してあります。そしてもうそれ以上の余計な生活スペースは残されていないことは言うまでもありません。  こうなってきますと新しくパーツやデバイスを追加するのに二の足を踏んでしまうのも当たり前ですね。それでもつい買ってしまうのが本当の秋葉erだと思うのですが、どっちが先なのか自分でもよく分からないのですが、これが欲しい!というパーツが最近あまりないというのが正直なところです。それほど恵まれたパーツ構成で暮らしているのか、ちょっと検証してみる必要があるでしょう。

 まずはメインマシンの構成から(定番ですねぇ)。

メイン計算機(用途・主にインターネットとDOOM2^^;)

デバイス メーカー・型番 備考

マザーボード ABIT BX6 (440BX) Aword BIOS base100MHz対応

CPU Intel MMX Cerelon266 83x4=333動作

外部メモリ SDRAM 64x2=128MB PC100対応

ビデオカード 3Dlabs Permedia2 AGP版 SGRAM 8MB

HDD JTS E-IDE 4.3GB Ultra DMA-33

NIC DEC-21143 100BaseTX/10BaseT PCI

TA NEC AtermIT55 DSU MP128対応

SCSI Tekram DC390 SCSI-2

SOUND OPTi 931 +Wavetableドーター追加

CD-ROM No brand ATAPI 36倍速

Floppy Alpus 2Mode ---

MO Fujitsu 230/128対応 SCSI-2

CRT SONY CPD-17MS TVチューナー・Video端子付

という感じです。こないだ掲載したときから少しだけ変わりました。某Matroxの金の斧・銀の斧が欲しい気がしますが、Permediaがもったいないのでしばらく使うでしょう。もう秋葉で入手困難なくらいのものといえば、CPUとTAくらいでしょうか。しかしどちらも現役第一線でまったく遜色ないものですし、あと二年くらいは行けるでしょう。さてこれからが腕の見せ所だと言えるセカンドマシンです。腕はともかくいかに寄せ集めるかが正念場ですね。セカンドはCD-R専用機です。

サブ計算機(用途・CD-R作成)

デバイス メーカー・型番 備考

マザーボード MyCOMP TI5VG (VP3) Aword BIOS base66MHz対応

CPU AMD MMX K6-233 クロックそのまま

外部メモリ SIMM 16x2=32MB Win95では十分

ビデオカード S3 Trio64 PCI版 DRAM 2MB

HDD Seagate IDE 2.1GB Fast-ATA

NIC Realtek-8139 100BaseTX/10BaseT PCI

CD-R Panasonic CW-7502 4xWrite SCSI

SCSI Adaptec純正 AHA-1920 ISA

SOUND ESS 1868 SB16互換・本当に互換!

DVD-ROM YAMAHA 第一世代 CDは10倍速

Floppy Mitsumi 2Mode ---

Floppy No brand 5inch 電源入れてません^^;

CRT (メインと共用) 三回路切替え

とまあこんな具合です。セカンドらしく、てってー的にスペック落としてます。重要なのは主用途のCD-RとNICだけですし。DVDや5inchドライブはしゃれですね。DVDのソフトウェア再生は見るに耐えられない状態です。止まっちゃうし……^^;。

 気を取り直してサードに行ってみましょう。もうこちらは余生のマシン(笑)。電源入れたのはセットアップしたときくらいですか。存在するために存在してるようなものです。誰か取りに来てくれるなら格安で譲ってもいいかも。

実存計算機(用途・AT互換機の過去に想いを馳せる)

デバイス メーカー・型番 備考

マザーボード No brand(本当なんです) (430FX) Aword BIOS ATフォーム

CPU AMD K5-90 クロックそのまま

外部メモリ SIMM 8x2=16MB Win95 OSR2では苦しい

ビデオカード Compaq Q-Vision ISA版 DRAM 1MB

HDD Seagate IDE 810MB Fast-ATA

MultiI/O No brand 1IDE 2Serial 1LPT

CD-ROM Mitsumi接続(No IDE) 2倍速

SOUND SB16 MultiCD 純正・非PnP(これはお値打ち)

Floppy EPSON 2Mode ---

CRT (メインと共用) 三回路切替え

 サードはもはや廃品回収の世界です。しかしCreative純正のSB16で、どんなタイプのCD-ROMでもOKです。ジャンパで各IRQを設定するタイプで、以前Aztecで「初心者お断り」のコーナーに置いてあったような気がします。マザーのIDEポートは完全に死んでいて、マルチI/Oカードで生き残りを果たしています。たしかシリアルも死んでいたという記憶が……。でも一応Socket7ですから、Pentium166とかまで動作するはずです。もちろんMMXやK6は駄目でしょうけれど。

 こうして検証してみるとそれほど最新のパーツが溢れているわけでもないですね。先日寄せ集めパーツで仲間に一台PCを組んであげたばかりなのに、なぜ三台もある??それは秋葉erの宿命かもしれません。そして表には書きませんが、往年のヒットパソコンNECの98Mate-Xが背後に高々とそびえています(笑)。こちらはプリンタサーバー・スキャナサーバーです。ちゃんと100BaseTXでLANにつながっているのです。Hubはこないだ1,500円でゲットした8Portの貴重品。LANがあれば楽しい自宅サーバーごっこが繰り広げられます。

 大きな問題としては、置き場がないというのは前述のとおりです。そしてもう一つ。触る時間が非常に限られているということですね。休日くらいはPC三昧で行きたいところですが、アキハバラにも行かねばならん^^;。ここが思案のしどころです。それでLibretto60も入手したんですが、やはりアキバはアキバ。自宅は自宅です。そしてあまり欲しいものがなくなるという状態になってしまいました。あーっ、そういえば押し入れにMS5169というSuper7マザーが眠っているのだった。ちゃんとM2-300GPも乗っかってるというのにもったいない。余りパーツはまだ一通りありますから、ATX電源の筐体があればもう一台作れるんでした。しかし、もう置けない。というわけで今一番やらなくてはならないことは部屋の片付けか引越しなのです。できれば専用線引いてサーバー立てられる一軒家がいいなぁ、なんて言ってるからいつまでも前に進まないんですね。あまり中身のない文章だったかもしれません。


1999-03-15(Mon) サーバーという恐ろしい響き [長年日記]

_  コンピュータがまだ好きではなかった頃、コンピュータの専門用語というものが妙に怖くて、イヤな響きがあったことが記憶に残っています。それほどコンピュータのことに自分は詳しくない……と自認される方はみなさんそうなのではないでしょうか。ある程度のパワーユーザー(上級者)になったとしても、依然そういう恐怖感・嫌悪感はついて回ります。自分が理解できないことを排除するのは、人間の知的活動の選別機能として当然のことなのかもしれません。わかることは取り入れられることであり、わからないことは外部のことですから。特にコンピュータの世界では言葉になっていない、アルファベットの略語というものがたくさん出てきます。英語だったとしてもせめて言葉になってさえいれば意味の調べようもありますが、略語になるとお手上げです。コンピュータ関連の略語はおびただしい数が流通しています。しかし、憶えなくては話にならないようなものはほんの一握りの言葉であり、雨後のタケノコのように次々に現れては消えていくほとんどの略語は、記憶するに値しないと最近知るようになりました。タネを明かすと、大企業・有名メーカーが自分のところの新技術や規格を、業界スタンダードにしようとして作り出す造語が非常に多いと言うことです。特に

Microsoftだけが使っている言葉

には今でも嫌悪感が走ることがあります^^;。ま、事実上のOS寡占ですからスタンダードになってしまうことも多いのですが、それを打開するにはもっともっとユーザが「自衛手段としての他のOS」を選択肢として持っていなくてはなりません。

 PC9800シリーズが全盛だった頃、耳につらいコンピュータ用語といえば「LAN」とか「インターネット」だったと思います。パソコン通信は程々にしかやっていませんでしたが、NIFTYやPC-VANのシェルを使いこなすにはかなりの経験が必要なようでした。DOSやUNIXのコマンドラインと違って、通信ターミナルでの文字の取り扱いは、とてもやっかいでしかも汎用性がないのです。わたしは通信おたくになる前にさっさとインターネットに入ってしまったので良かったのですが、過去から通信をやり続けてきた人たちは大変だったのだろうなぁと思います。それでもシリアル同士をつないでコンピュータを接続することはできたのですが、LANとか10Baseとか、ましてやその上のレイヤーのTCP/IPとかIPX/SPXとかになると、もうほとんど呪文の域に思えました。Windows3.1でのwinsock.dllを使ったインターネット接続では、手引き書に従って意味の分からない数字をいろんな箇所に埋めていくのが苦痛でした。何が何だかわからないんですもん。苦痛が進んでくると、そもそもネットワークなんてお金とコンピュータがゴロゴロ余っている人のやる道楽でしかない……っていう考えが浮かんできたりするのですが、それでも諦めずTCP/IPに食いついていたからこそ、今のインターネット接続があるんだと思います。それにしてもNIFTY SERVEのゲートを経由したインターネットというのは異様な光景でした。初めてNetscape(バージョン0.9とかだったと思います)をゲットしたときというのは、NIFTYからテキストベースのFTPに入って、まずSunsiteとかの親サーバーからNIFTYのサーバーにファイルをコピーし、さらにそれを自分のコンピュータにコピーするという二段構えでした。9600bpsでダウンロードするNetscape Navigatorは重かったです^^;。フロッピー一枚を少し越えるくらいの容量でしたが、三十分以上かかった記憶があります。

 インターネットの昔話はあまりみなさんには興味がないかもしれないので、はしょっていきます。LANとサーバーの話でした。それまではまるで縁のないような話だったのが、Windows95の登場で事情は一変したと思います。標準でLAN機能が組み込まれたのです。つまり法人相手の一桁違うネットワーク用のソフト価格を払わなくても、手軽にLANを始められるようになったのです。基本はファイルの共有からすべて始まります。Microsoftの誘い方もうまいなぁと思ったのは、Windows95のデスクトップに「ネットワークコンピュータ」なんていうアイコンを配置してしまうというあたりでしょうか。これはネットワークのプロトコル(インターネットで使うTCP/IPとか)を組み込むとアイコンが「発生」しますね。これを読んでいるみなさんのOSがWindows95/98/NTならネットワークコンピュータのアイコンがあるはずです。LANを組んでないコンピュータでこれをダブルクリックしても何も出てきません。もとい、ネットワーク全体という意味不明のアイコンが中にありますね。LANのない状態でさらにこれをつつくと Windowsから怒られます

(共有設定をしておくと一台だけでも自分自身が見えたりする^^;)。これだとLANをやれとWindowsに言われているようなものですね。わたしがLANを始めたのもこれがきっかけでした。秋葉原のパーツショップでNE2000互換ボードを二枚買い、ケーブルとハブを買ってきて、相互に接続してみました。共有設定とかちょこちょこやってあげて「ネットワークコンピュータ」をつついてみると、相手のコンピュータの中身が、まるでHDDを増設したかのように見えるではありませんか。これはちょっとした感動でした。またCD-ROMドライブやMOドライブのないマシンからでも、ネットワーク越しにメディアを読み書きできます。しかもシリアル通信でイメージしていたスピードとは段違いの速さでファイルが送れます。考えてみたらLANの10Baseっていうのは通信速度10Mbps=10,000,000bpsですから、28,800bpsのモデムに比べたら300倍以上速いので、これは当然でしょう。そして周辺機器を整備していないネットワーク専用コンピュータを作っていく弾みになったのでした。何しろマザーとHDD一台でWin95さえ入っていたら他のコンピュータとデータをやりとりできるんですからね。これでわたしの世界の中で「LAN」というのが異次元の言葉ではなく、自分のものとして機能するようになりました。つまり排除しなくてすむようになったと言うことですね。

 さて次にいよいよ「サーバー」という恐ろしい響きを持った言葉を自分のうちに入れていく作業です。これには長い時間と忍耐が必要だろうと思っていました。とりあえずFreeBSDは始めてみたものの、サーバー運営とかネットワーク管理とかは専門技術者にだけ与えられた特殊な仕事だという思いこみがありました。しかし、前述のネットワークコンピュータのアイコンをカチカチッとマウスでつついたところですでに、わたしはサーバーのオーナーになっていたし、ちゃんと開けた時点でもうクライアントからサーバーを操作していたことにほかならないのです。これがWindowsによるファイルサーバーの取り扱いの始まりでした。あとになって知るのですが、Windowsでファイルを共有するという使い方は、他のいろいろなネットワークのプロトコルから考えると氷山の一角でしかなかったのです。

 こうして始まった楽勝気分のLANとサーバーでしたが、次に待ち受けていたのが苦難のNFS(Network file system)でした。これはPC-UNIXで使われるファイル共有の方法です。WindowsではNetBEUIという

ちょー簡単なプロトコル

を組み込むだけでファイルの共有ができました。しかしNFSではTCP/IPが必須なのです。なんでまたNFSなんてややこしいものを使おうとしたかというと、CD-ROMのついていない486ノートパソコンに、無謀にもLinuxをインストールしようと考えたからです^^;。デスクトップPCのCD-ROMをNFSで共有すれば、こういった古いノートでもインストールできます。これは苦労しました。NFSサーバーを動かすにはWindowsみたいにちょちょいのちょいでは行かなかったのです。TCP/IP自体はFreeBSDやLinuxにすでに実装されているものの、新たな用語が次々に登場しました。「固定IPアドレス」「ネットマスク」「デフォルトゲートウェイ」「ルーティング」「ドメイン名」「ホスト名」……といった名称の数々です。自分の頭の中にない単語の応酬に圧倒され、揚子江まで流されていきそうな感じでした。だいたいFreeBSDではインターネットにもつないでないのに、なぜドメイン名なんてつけなきゃならないのかと。いわんやホスト名をや、です。仕方ないので適当にでっち上げようとしましたが、めちゃくちゃにでっち上げてもだめなようでした。とりあえず192.168.1.xでxに適当な数を入れておけば動くらしい……ということと、ネットマスクは255.255.255.0とすれば行けるらしい……ということだけでした。そして次の難関として「/etc/exportsに公開する相手のアドレスとブロードキャストなどを指定する」という意味不明の説明が出てきました。ぶろーどきゃすとおぉ?中野のブロードウェイなら知ってるぞー。結局わけのわからないまま手引き書に書いてあるとおりの数字を打ち込み、サーバーになるデスクトップを再起動すると、なんとか動くようになったことを憶えています。ノートパソコンからLAN越しにCD-ROMが読めたときは感動しました。

 そして次のサーバーはPC-UNIXユーザーおきまりのコースで、「自宅インターネットごっこ」ですね。http(www)やftpのサーバーを動かしておくことで、LAN越しにブラウザなどからファイルを読み込むというやつです。ローカルファイルを(|/ディレクトリ名/ファイル名)で読み込むのは簡単ですが、同じローカルファイルをちゃんとインターネットのhttpプロトコルで(http://ホスト+ドメイン名/~ユーザー名/ファイル名)で読み込むのに成功するまでは結構いろいろと大変でした。自分で作った「404 not found」が表示できたときも感動しました。カウンターCGIもFreeBSDにはついてきます。前述のややこしいNFSが設定できなくても、仮にAnonymous FTPサーバーを作っておけば、ファイルの転送くらいは簡単にできると言うこともわかりました。そして名前の解決てす。正引きとか逆引きとか、なんか巨大なデータベースの交通整理をしなきゃなんないのかとびびっておりましたが、bindというパッケージが入っていてnamed.bootで指定するいくつかのファイルを決まりに従ってテキストで書いておけば、アドレスを数字で直打ちしなくてもホスト名で参照できるということが「ごく最近」わかったのです。実は最近までくだんのインターネットごっこをLANでやるときは「http://192.168.1.2/~testuser/」とか「ftp://192.168.1.2/pub/」とか、生のまんまのIPを打ってたんですね~(笑)。

 これでやっと「サーバー」という恐ろしい響きから解放されたような気がします。基本的には他のコンピュータがリクエストを送るまで、じっと待ってるコンピュータのことですね。なにもハイスペックの何百万もするサーバーを用意しなくてもいいわけで、486パソコンでも構わないということです。○ング○トンのクソみたいに高いメモリを業者の言いなりになって搭載しなくても、立派にサーバーは動きます(断言)。「サーバーにはどうしても高スペックのものが必要なんですよ」なんていう脅しを信じてしまうあなた!それでは明日からあなたの会社は

業者の食い物にされてしまいます。

どうしてもECCメモリやAdaptec純正SCSIやPentium2が必要だと言う営業マンが来たら、どうしてEDO RAMではいけないのか・TekramSCSIで何の問題があるのか、そして486DXが何の不具合を出すのか、執拗に尋ねてみることをおすすめします。きっと営業マンはしどろもどろになっていき、最後には「安心を買うというのも必要ですから……」なんていうわけのわからない結論を言い出すはずです(笑)。いや、業者さんいじめのコーナーではなかったんですね。

 あと、まだ既知のものになっていないのは「ルーティング」とかです。これは要するに経路指定みたいなものらしいのですが、経路らしい経路のないスター型ネットワークしか作ったことがないので、ほんとにからだで「わかる」には物理的なシステムが必要だと思います。そうこうしている間にわたしが勤めている学校でもインターネットサーバーを動かす話になってきました。セコセコやってきたUNIXのノウハウがやっと実用面で日の目を見ることになりそうです。うまく動作することを祈りつつ、設定練習を繰り返している毎日です。結論として言うとすれば、サーバーを動かすこと自体は簡単だが、動作状態を把握するにはそれなりの勉強がいる、ということでしょう。わかんなくても動いてしまうのがWindows NT serverとかだったりしますけどね。お金が余って余ってうなっているくらいの会社ならそれでいいのかもしれません。もちろんわたしもNTは好きですよ。メインOSにWorkstation使ってるくらいですから。


1999-02-01(Mon) [長年日記]

_ 先々週の土曜日の出勤の代休で、明日の火曜日はお休みです。いよいよセレロンマシンの解体なるか。予告しながらなかなか時間も気力もなかったのですが、これでオーバークロックの真価が試されるかもしれませんね。激しくメモリやCPUを使うWinNTなどをぶんぶん振り回してみて熱暴走しなければ本物です^^;。メインマシンがM2やらCeleronやらで交代激しい昨今ですが、これもスピード狂のゆえ、なるべくしての展開でしょう。  今日も「わたしにしては」オーバーワークな一日でした。黙っている時間がほとんどないのは、疲れはしますが充実感があります。水曜からまた働くと思うといやですが、その力も明日一日で回復するかと思います。


1998-10-22(Thu) ついに導入! Intel純正PentiumII [長年日記]

_ 前ふり

 今年1998年になってから、あまりハードウェアに投資をしない日々が続きました。そこそこ動いていたK6-233と安くなった外部メモリのおかげで、Socket7マシンで十分なパフォーマンスが得られていたためです。Windows95→Windows98のOSバージョンアップはさほどエンドユーザーにインパクトを与えませんでした。非PnPのISAデバイスは相変わらずの扱いでしたし、PCIはPCIで勝手に動くというのが最近の流れであるためです。さまざまな憶測をよそに、マイクロソフト社はWindows98日本語版をIE4.0を内包した形で強行販売しました。ユーザーとしてはただでブラウザが手に入るので悪い気はしなかったものの、IE4.0をアンインストールできないというジレンマに陥れられたのです。高いハードウェアスペックを要求されるOSになってはいくものの、それと同じくらいのスピードでハードウェアも値崩れしていきます。CPUもメモリも安くなった今となっては、Pentium166以上・メモリ32MB以上……なんていうふざけたソフトが登場しても、みんな当たり前のように受け入れるようになりましたね。いや、あなたは受け入れないって?買ったパソコンを減価償却できないうちにどんどん新製品が出てくるのは、みんな閉口気味だと思います。しかし、自作ユーザーにとってはそのようなパーツの値下がり傾向は、願ってもない流れなのです。

 わたしがシステムをなかなか換装しようとしなかったのは、理由は簡単です。Socket7用CPUがもう頭打ちになっていたことと「PentiumIIが高価」だということでした。Socket7で最速最後といわれたK6-233に手を出してしまったわたしでしたが、その後ベースクロックや倍率をややこしく上げた300MHz台のSocket7用CPUが続々出るにつけ、「もう別にいいや」っていう空気がわたしを支配していました。430TX前後のチップセットでは外部クロック66MHzが天井だったからです。オンボードIOや拡張ボードがついてこなくなるかもしれない危険を冒してまでSocket7で100MHzを実現しなくてはならない理由は見あたらなかったのです。(430FXあたりのチップセットでは外部66MHzにしただけで、E-IDEやシリアルがついてこれなくなっていたことをも経験済みだった)。

 PentiumIIは233MHz版をスタートとして、次々に高クロック版が発表されていきました。現在も最速クロックのものは新しく出ています。あっという間に400MHzを越えてしまったので、そのうち500MHz版とかも店頭に出るようになるのかもしれません。UNIXやNTで使うためのDEC-Alphaマシンだけの周波数だと思われていた400MHz~500MHzが、そこらへんのPCショップで手に入るようになったのは驚きです。それにしてもPentiumIIの値段は下がりませんねぇ。十万近くでもお金を出してしまう人たちも世の中にたくさんいるようですが、わたしはCPUには二万円を割ってから手を出すようにしています。待てば必ず二万円を割る日が来るからです。一万円近くまで下がると市場から姿を消すようになるということも何となくわかってきました。しかし、PentiumIIに限ってそれは通用しないようです。最初に出た233MHz版は二万円を割らないうちに徐々に姿を消しています。この分だと266MHz版も300MHz版もそういう流れで消えていくのかもしれませんね。Intelは386系CPUの世界ではトップブランドですから、やむを得ないのかもしれません。

 ここで市場を騒がせ始めたのが同じIntelから廉価版CPUとして発表された「Celeron」(セレロン)です。雑誌などでも紹介記事がよく載っているので、PCおたくでなくてもご存じのかたは多いことでしょう。コア部分はPentiumIIと同じものを使っているらしいのですが、二次キャッシュなどのチップをはずせるだけはずして低価格を実現しているものです。値段も一万円台前半とお手頃ですし、二割から三割程度のオーバークロックは楽勝のようです。SLOT1の全てのマザーボードで動く保証はないみたいですが、Webでたくさんの動作報告例が公開されています。いろいろと体験談を読んでいるうちに、おたくの血が騒ぎ始めました。 PentiunII266MHz版を中古で購入 (\17,800-.)

 一万円台のCeleronと三万円台のPentiumIIではどう見たってCeleronを選びたくなるのが節約家の人情というものです。しかし、セカンドキャッシュ512KBの有無が与えるパフォーマンスの差は圧倒的でしょう。あとで拡張したくともSLOT1のボードにはL2の拡張モジュールを追加することなどできません。値段とパフォーマンスのジレンマに悩むわたしは、ある秋の夕暮れの日にマックスロードの3Fで中古のPentiumIIを発見したのです。266MHz版で価格は\17,800-。同クロックのCeleronと数千円しか差がありません。これはどう見ても「買い」です。しかし発見日たまたま手元に現金がありませんでした。翌日タイムカードを押してから秋葉へ一直線(笑)。AMD-K6 233MHz以来のCPU購入です。Intel純正CPUの購入としては、ノーマルPentium-120MHz版以来ですから二年ぶりくらいとなりました。  さて、マザーボードです。PentiumIIなら話は簡単で、ほとんどのマザーで大丈夫でしょう。440LXでもBXでも動作するはずです。ただ今回はCeleronを前提に情報集めをしていましたので、クロックアップに強い・つまりベースクロックの変更が簡単で扱いやすいものを選ぶことにしました。GIGAとASUSはメジャーすぎる上にリミッター破りには改造が必要という情報を得ていましたので、今回は他のメーカーから……ということでずばりA-openかABITに標的を絞っていました。ジャンパレスと稀少さに惹かれ、ABITのBX6に決めてみました。

 現在使っているメインマシンの骨格はここで決まりました。440BX+PentiumII266です。メモリは最初古い32MBのSDRAMを使っていましたが、これだと全然ベースクロックを上げられないことに気がついたので、PC World EXPOのときにTWO TOPの出展ブースで買った\9,800-のPC100対応64MBメモリに換装しました。現在の運転クロックはベース75MHz×4倍=300MHzで安定動作しています。DOS版のDOOMをはじめ Win98, WinNT, Linux で安定動作しています。DOOMはOSじゃないっつーの^^;。100MHz×3倍=300MHzでも動作しますが、ときどきWindows98で「不正な処理……」でうぉんうぉんうぉんになってしまうのが嫌で、無理しないようにしています。ちなみにWin98のシステムエラーのデフォルトのあの「うぉんうぉんうぉん」の音って嫌ですねー(笑)。華麗にカスタマイズしてあるタスクバーがのっぺらぼうになってしまうとやる気を失ってしまって、カードキャプターさくらでも見て寝よう……という気分になってしまいます^^;。 久々復活! kiyochanのマシン自慢 のコーナー

 アーキテクチャーの骨格が決まりましたので、総力を結集してABIT製のこのボードに拡張ボードを次々に接続していきます。まずはビデオカードだけでBIOSは立ち上がるので、シンプルにそれだけでもよいのですが、BIOSだけ見て喜んでいるのも変なので、いちおうHDDやLANをはじめとする最低構成をつないでいきました。シリアルポートにAtermIT55-DSUをつないだところで、ほぼメインマシンとしての機能は揃いました。  構成は次の表の通りです。

デバイス メーカー・型番 備考

マザーボード ABIT BX6 (440BX) Aword BIOS base100MHz対応

CPU Intel MMX PentiumII266 75x4=300動作 L2cache512KB

外部メモリ Alps SDRAM 64MBx1 PC100対応

ビデオカード 3Dlabs Permedia2 AGP版 SGRAM 8MB

HDD JTS E-IDE 4.3GB Ultra DMA-33

NIC Winbond W89C940 PCI

TA NEC AtermIT55 DSU MP128対応

SCSI Buslogic KT545C Legacy ISA

SOUND S3 Sonic Wavetable搭載 PCI

CD-ROM CyberDrive SCSI 12倍速

Floppy Mitsumi 2Mode ---

MO Fujitsu 230/128対応 SCSI-2

CRT SONY CPD-17MS TVチューナー・Video端子付

 以上のような構成です。基本コンセプトは安く・速く・快適に……です。常用メインOSはWindowsNT workstationです。バージョン4.0日本語版ですが、96年の発売なのでもう二年近くたってしまいました。バンドルソフトの「売り」がInternet Explorer 3.0ですので、ちょっと古さを感じてしまいますね。Windows98のシェルに慣れてしまってからは、タスクバーにショートカット登録ができないのがなんとも不便で仕方ありません。やむをえずWindows3.1の頃に使っていたようなデスクトップランチャーをインストールして使っています。

 セカンドOSとしては今のところ買ったばかりのTurboLinuxの2.0を入れています。二度目のインストールになりますが、一度もインターネット接続に成功したことがなくて、それだけが難点です。ダイアルはしているようなのですがユーザー認証に失敗するのかPPPが確立できないようです。PPPができないOSなんて使い道ありませんね。1.0や1.4では難なく設定することができたというのに不思議です。旧バージョンではアイコンクリックでの接続はできても切断ができない^^;という重大な問題がありました。自分のマシンだけでのローカルな問題だと捉えていたのですが、最近販売元のパシフィックハイテックさんがその事実をWeb上で認めていたのを読みましたので、ほっとしたところです。自分のところのソフトの不具合を素直に認めて発表する態度は、非常に好感が持てます。こういう誠実な対応には信頼関係が生まれると思います。話は飛びましたが、PPPが動かないOSはほんとうに不便で仕方がないというのが、Internet漬けになってしまっているわたしの実感です。手動で/etc/ppp/ppp-on-dialerや/usr/sbin/ppp-onを、RedHatでうまくいったときみたいにエディタ使って何度も設定し直してみました。しかし結果は同じなのです。もちろんroute del defaultもやったし、Xの起動してないコンソールでもチャレンジしましたが、それでも解決しないので最近諦念モードです^^;。そのうちS.u.S.E.LinuxかFreeBSD 3.0(リリースされたばかり)にパーテーションを書き換えるかもしれません。明日にでもやるかもしれませんね。

 サードOSとして使っているのはWindows98です。これがHDDからなくなればどれだけすっきりすることか…とは思うのですが、DOS版DOOMを動かすにはこれが一番安定していますし、なんといっても「NTで動かないWindowsソフト」がまだまだあるのも事実です。職業柄、いろんな人たちからWindows98に特有の問題の質問も受けますし、わたしのHDDからWindowsがなくなってしまうことはないでしょう。  ざっとハードウェアだけ見ると、いまどきのパソコンのレベルに追いついているような気がします。いちおう300MHzの大台に乗ってますから。所有HDD中の唯一のUltra DMA-33対応だし、ビデオカードも唯一のAGP版です。まさに総力を結集したマシンですが、いまだ筐体に収まっていないのが見た目を悪くしています。わたしは自宅でコンピュータを組むとき、マザーボードを購入してから最初の何ヶ月間かは、この「筐体なしスタイル」で実験を繰り返すのが常になっています。埃や電源周りのセキュリティがちょっと危なくなってきたなぁと感じたところで、筐体に収めることにしています。実際ビデオチップやCPU周辺の放熱も良いし、ボードやメモリの換装のたびに面倒な作業を強いられるよりは、安定してから固定したほうが良いような気がするのです。

 初めてSLOT1システムを導入したわけですが、驚くぐらい速くなったというような実感はありません。これまでの最速システムがAMDのK6-233だったのでクロック自体は三割増くらいですから、やむをえないのかもしれませんね。ベンチマークで見る限りではWindowsNTがいちばんよい記録を出しています。しかしNT自体がかなり重いOSであるため、相対的なOSの起動速度は大して変わらないようです。Windows3.1とか入れたら飛ぶように動いたりして……。これからもWindowsは使い続けていくとは思いますが、LinuxなどのPC-UNIXもわたしの中では実用一歩手前まで行っていますので、今後の自分の努力次第という感じがします。IEもこれはこれでよいのですが豪華な機能が付加されれば付加されるほど離れていきたい気持ちになるのは、きっとわたしだけではないでしょう。XでNetscapeが簡単に動かせるようになってきたこの一年あまりで、状況はかなり変わってきたと思います。

 ハードウェアは適宜入れ替えながらこれからもやっていくと思います。今回のPentiumII導入の際はほとんどのこれまでの資産が使えました。取り替えたのはCPUクーラーやPC100対応のメモリくらいです。さすがはAT互換機といわれるゆえんですね。しかし、いま自宅にプリンタがないとか、問題もあります。コストと機能の狭間の中で、これからも拡張や交換を繰り返していくことでしょう。


1998-07-08(Wed) X window systemの巻 (後編) [長年日記]

_  前回の更新から実に3か月も経過してしまいました。後編に入ります。最近ちょうどXFree86以外のサーバーも使っているので、ちょうどよいタイミングになりました。

 前編で書いたとおりにXが動くようになれば幸いです。FreeBSDや各種LinuxのCD-ROMには数え切れないほどのXアプリケーションが入っています。このところの新バージョンではハードウェアの設定やデスクトップの設定がGUIで簡単に変更できるようになってきました。中でもTurboLinuxの1.4アップグレードでは、サウンドカードの設定がGUIでできます。ちょこちょこっとIRQやIO-port addressを入力していけば、なんと再起動なしでサウンドブラスタから音が出ました。ソースリストを書き換えてコンパイルっていう、時間と労力のかかるカーネル再構築の手順を踏まなくていいなんて、PC-UNIXとしては長足の進歩だと思います。商用Linuxのサービスぶりは目を見張るものがあります。もちろん、お手軽に設定できてしまうと、深い理解は得られないという弊害はいつもついてきますが……(その最たるものが---intoshや---dowsかも)。

 動けば極楽で美しいXですが、動かないときの苦労といったらありません。動くまでは当然コンソールで試行錯誤する必要がありますし、startxのあとでだんまりしてしまって、Ctrl+Alt+BackSpaceでもプロセスを殺せない状態になることもままあります。Xが立ちあがらない原因としてはいくつかありますが、

   モニターのリフレッシュレートがスキャンレンジを超えている。
   ビデオカードの色数と解像度が不可能な組み合わせになっている。
   正しい X server のバイナリをインストールしていない。
   正しい X server にシンボリックリンクが張られていない。

と、ざっとこんなところでしょう。

 経験的に言って、/usr/X11R6/bin/XF86Setupなどのユーティリティを使って大まかに設定したあと、テキストエディタで/etc/(X11/)XF86Configの中の使わない解像度とか色数の部分をコメントアウト(または削除)するというのが早道だと思います。リフレッシュレートだけが合っていないときは、Xの起動失敗のメッセージの中に「水平リフレッシュレートはなんぼ以上にしてよ!」というメッセージ(もちろん英語で)が出ますから、それに合わせていくということになります。色数に関しては、ビデオカードのメモリはいまどきは4MB以上のばかりなので、1024*768のフルカラーでも問題なく設定できるかと思います。

 X server バイナリの正しいインストールというのは意外に盲点です。わたしもこないだハマったばかりです。XFree86 3.3.2で S3 ViRGE/GX2が動くようになったと聞いて、早速自宅でS3Vサーバーをインストールしたんですが、どうやってもXが動かないんですね。以前にFreeBSDのカレントからサーバーだけダウンロードして組み込んだときは確かに動いたんだが……記憶違いかな、とも思いました。LinuxとBSDにはバイナリに互換のないものもあるし、Linuxでは動作確認されてないのかもと少し弱気になりました。しかしTurboLinuxのアップグレードパッケージの裏ジャケットにははっきりと「ViRGE/GX2」の文字があります。平日の夜にほとんど徹夜状態で「viで修正→X起動→失敗」のサイクルを繰り返しました。うーん。どうにもならん。こういうときはDocumentに何か書いてあるかも……ということで読みたくもない英文Documentをエディタで開いてみます。すると、むむむ、GX2はSVGAサーバーを使う?らしい、です。貧弱な英語読解力ですが、そうらしいことはなんとなく感じ取れました。

 XF86_SVGAのバイナリをgzipしてtarして手動で展開しました。たまにやるとパラメータ忘れてます。そして/usr/X11R6/bin/Xを削除します。この「X」の実体はシンボリックリンクですが、普通のファイルと同じように「rm X」で消えます。そして新しく「ln -s /usr/X11R6/bin/X XF86_SVGA」でSVGAサーバーにリンクしてやります。/etc/XF86Configについては繰り返し試行錯誤したので練りこまれているはず……ということで消さずにそのまま使いましょう。さて、緊張の一瞬です。startxと入れて「Enter」。立ちあがりました! きれいなAfterStepの画面です。ドキュメントを読むのは大切なことだと思いました。BSDでやったときは何メガものバイナリをダウンロードしなくてはいけなかったので、勢い慎重になってまずはドキュメントを読んだんでしょうね。完全に忘れてました。

 XFree86はバージョン3.3.1でViRGE/GX, 3.3.2でViRGE/GX2 をサポートです。ノートパソコン用のビデオチップ ViRGE/MX も動くという話です。ノートでメジャーなNeoMAGICのチップは最新の3.3.2+パッチ当てで動くらしいです。「Libretto100でXFree86」という記事でSoftware Design 7月号P.88に設定方法が紹介されています。今年の初めに富士通のノートパソコンを買わないかという話が個人的に舞い込んだのですが、チップがこのNeoMAGICだったので見送りました。X非対応のチップは苦労しますので。

 VRAM4MB級のビデオカードはずっとくだんのS3 ViRGE/GX2一枚こっきりだったのですが、この六月になって職場で配転があり、PCごと引越しをしたついでに、ビデオカードを新調しました。幕張の展示会で\1,980-で買ったATIのMach64の2MBから、いよいよ乗り換えです。Mach64はCOM4とIOアドレスが必ずバッティングするという以外は、非常にソツのない標準的なビデオカードでした。95もNTもXも無難に動いてました。新しく買ったビデオカードはPermedia2の8MB-AGPです。マザーがVIAのチップセットなのでSocket7でもAGPが使える!というのが売りだったのですが、最近では珍しいことではなくなりました。はじめてのAGPビデオカードです。さぞかし速いだろう!と予想していましたが、そうでもないですね。普通です。ネスケのスクロールはたしかに引っかからなくなったような気はします。

 Windows98のベータ版で使っていますが、付属してきたCD-ROMに入っていたドライバだとウィンドウのタイトルバー周辺にごみが出てしまいます。美しくないので、3D LabsのWebサイトから最新版のドライバをダウンロードして組み込んだところ、解消しました。正式版のWin98には新しいドライバがついてくるんではないかと楽観しています。  ところでこのPermedia2というビデオチップなのですが、実はXFree86 3.3.2では今のところ動かないのです。しかし、Diamond Multimediaの「Fire GL 1000」という商品などでかなりメジャーになってきましたので、次期 X のバージョンではサポートされる線が濃厚です。したがってFreeBSDではいまのところ動かす術がありません。Accelerated-X の 4.1では動くという話ですが、体験版をダウンロードしてインストールしてみましたが、どうやってもXは立ちあがらなかったです(一週間くらいをこのために費やしてみたが、だめだったっす)。

 しかし、なんとしてもPermedia2でXを動かそうという気持ちのあるあなた!落胆することはありません。商用Linuxのパッケージでは「Xglint」サーバーが付いているものも存在します。標準でglintサーバーが付属しているパッケージは「Turbo Linux (1.4)」「S.u.s.e Linux 5.2」などです。わたしは両方買ってしまいました^^;。商用のUNIXというと高価なイメージがあるかもしれませんが、この二つのパッケージは格安です。数千円でLaser5などで販売されています。ほかにも Metro X というサーバーもPermedia2が動くそうです。こちらはRed Hat Linuxにバンドルされています。わたしが今のところ使っているのはOS部分はTurboLinux、サーバーだけS.u.s.eのCD-ROMからXglintサーバーをpkg_addしました。ちゃんとXが動いています。この手を使えばFreeBSDでも、Xserverのコピーでいけるのではないか?という希望的観測が生まれますよね。抜かりありませんぜ。ちゃんと試してみました。結果は……動かなかったです。BSDとLinuxではバイナリの互換がないという意味のメッセージが出てきました。ソースからコンパイルすればなんとかなるのかもしれません。でもそこまでやる気は起きないので、意欲のあるかたはチャレンジしてみてもいいんじゃないでしょうか。

 Permedia2はXFree86にリストされていませんので、FreeBSDでおなじみの「XF86Setup(前編参照)」ではセッティングできません。やるならLinux(RedHat系インストーラ)のXconfiguraterを使います。テキストベースのインストーラですが、すこし慣れれば使いやすいと感じられるようになります。

 セッティングが終わってからのチューニングもそれほど苦労はありませんでした。チューニングは /usr/X11R6/bin/xvidtune で行います。「Auto」のボックスをチェックしとくと楽です。移動しすぎるとスキャンレンジを超えてしまうビデオカードもたまにありますが、だいたいこれで折り返しやゆがみは調整できます。モニタの仕様をきちんとXに伝えるには、etc(/X11)/XF86Configを直接viなどのテキストエディタで直したほうが楽ですね。先述のxvidtuneも(内部的には)このファイルを書き換えているだけなんです。

 後半、PermediaやS3-GX2に特化した話となりましたが、一事が万事で、Xに対応してないビデオカードの場合、似たようなものを当たれば何とかなるかもしれない……ということです。それにしても Accelerated-X の体験版がぜんぜんいうこときかないのは困りました。Accelerated-Xは何万円もするソフトウェアなんだから、さくっと動いてほしかったなぁ。

 フリーのUNIXで初心者の関門となる「X window system」について2回にわたり書かせていただきました。疑問や不明な点がある人!いっしょに克服していきましょう。UNIXは努力がそのまま実ります。努力しなければ何も身につきません。ヘルプが英語だとかエディタのviが思い通りにならないだとか、いちいち引っかかってしまいますが、時間をかけてマスターしていくしかありませんね。わたしも努力します。がんばりましょう。


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