浅野忠信がアルコール依存症の元カメラマンの役を演ずる。原作は漫画家の西原理恵子氏の夫の手記のようだ。酒に溺れ、体を壊し、アルコール病棟に入院し、断酒を始める…といったストーリー。普通は愛想をつかされるところが、この話では離婚した妻と子供たちが本人を慕うという設定である。主観が入ってるのかなあ。現実は、こう美しくはまとまらないぞ。やめて10年くらい経つと別かもしれないが。
アルコール病棟の中の、アル中どうしのすったもんだの騒動の描写が秀逸である。ぼくは入院経験はないが、仲間と仲間の心の動きが手に取るようにわかる。
エンディングテーマは故・忌野清志郎の「誇り高く生きよう」が使われている。清志郎が喉頭がんで治療を開始し、声質が変わってしまっていた頃のアルバム「夢助」の中の一曲である。人生と家族、命について考えさせられる映画だった。
少し早めに作成開始。最近は新宿や荻窪のチケットショップで年賀はがき一枚45円なんていうディスカウントもある。これならプリンタで紙詰まりを起こし、印刷に失敗して郵便局で交換しても、5円払ってちょうど50円。安心である。
年賀状のやりとりだけになってしまった知己や、諸先達の存在も大切にしていきたい。年賀状は人と人とのつながりを維持する、日本の伝統的なフェローシップシステムなのかもしれない。
オイスター。牡蠣。10,11,12月の、英語で〜emberのつく季節はカキの季節だそうだ。仲間にもらったゆずを搾ってカキフライにかける。うまい。昔はカキは大嫌いだった。ぬめぬめしている上に、変なエキスがどばっと口に広がる感じ。子供にとっては恐怖の味だったのだ。でもなぜか大人になって味覚が変わる。呑み助にはいい味だったのかも。そしてしらふになっても、なおいい感じ。生牡蠣はちょっと怖い気もするけど。
日中時間があって、小石川植物園を散歩。去年も秋ごろに行った記憶。でもあの時は雨だった。なにゆえ雨の植物園へ行かねばならなかったのか、我ながら不思議である。今日は落ち葉の積もり切った広大な園内をひたすらに歩き回った。公園ではないので遊ぶ子供もいないし、いちゃつくカップルもいない。ちょっと年齢層高めな紳士淑女の憩いの空間である。売店は中央に一軒だけ。ごみはお持ち帰りくださいとある。ゴミ箱はない。紙のコーヒーカップは、飲み終えたら持ち帰りだ。すばらしいマナーの園。安心してくつろげる。都会の喧騒に疲れたら是非皆さんも小石川植物園へ。
17回目の再生記念日。先月の鹿児島があり、一ヶ月遅れで東京でも行なってもらう。1年の人たちが大変印象的。踏んできた足跡はたいてい同じようなものになる。けっこう満席になり、あちこちから集まってくれてうれしい。
自己中心からの解放を強く願い、またそれが一つ実現される日でもあった。人とのかかわりは奇跡を起こしてくれる。ただし、いつも自分の声や神様の声に耳を傾けていなくてはならない。6,7の祈りは実を結ぶのである。
ライトブルーのジャンパーをまたまたユニクロで購入。目の醒めるような真っ青だ。東大の応援旗の色である。ライトブルーというとなじみがないが、昔絵の具に入っていたセルリアンブルー。ちょうどあんな感じ。着て歩いてみたら思ったより目立ちまくる。バイクに乗るときによく目立って事故防止になるかも。白バイにも目をつけられ易いので、リスクとリターンがほどほどに釣り合ってるかもしれない。
役割で、今週ほぼ毎日のように大塚へ日参している。大塚近辺には過去無料バイク駐輪場がたくさんあったことはここにも書いた記憶があるのだが、放置車両も多くひどい荒れようだった。最近巡回してみたらきれいに整っている。掲示をよく見てみたら、無料駐輪はもうやってなく、有料登録に変わっているようだ。いまどき無料だと荒れるというのが道理なのかもしれない。日本のモラルは地に落ちているのである。
新大塚まで丸の内線で行くこと数回、バイクで一回、池袋から徒歩、都電沿いに雑司が谷へ歩くなど、大塚は数々のアクセス方法があって楽しい。茗荷谷や本郷へ向かう都バスも使える。住むのにも良い下町と言えるかもしれない。偶然学生時代の友人の父上に会った。こういう驚きもあった。
ここのところ日曜日にサービス活動が続いている。もらうことより与えることのほうが良いに違いない。もらうことばかり考えていると、些細なことに苛立ったり、被害を受けていると考えるようになる。自分のことは二の次でよいのだ。サービスが結局またもらうことになってしまうのが、結果はオーライである。
久々にズボンを2本購入。擦り切れて変色までしている古いズボンと、ボタンが取れ、サイズも合わず、たった800円で数年はいたズボンを処分。裾直しで有料と言われたが、今年の最初の事件をすぐさま思い出し、快諾する。そう、快諾だ。300円くらいなんともない。心の平和の代金である。
買い換えたバイクで、初めての遠乗りを挙行。といっても40kmくらいだが、満を持して出発。購入時より前輪がきしんでいたので、事前に購入店で改善してもらった。プロは手際がよい。瞬く間に前輪を取り外し、ブレーキパッドや軸受けを研磨、清掃してくれて、きしみの音はなくなった。自分でやっていたらまず前輪外しなどできず、パッドの交換も怪しかったかもしれない。そもそもパッドは磨り減っていなかったので交換する必要はなかったのだ。
40kmの遠乗りは今回千葉の幕張までである。過去に埼玉の嵐山や川崎、青梅あたりまでなら飛ばしたことがある。それぞれ30〜40kmくらいだったであろう。いままではギアつきのアメリカンバイクだったので長距離に向いていたと思うが、今回はスクーターである。やはり疲れた。
自宅から本郷付近まで国道257号(川越街道、春日通り)、そして城東から千葉へ向けて国道14号(千葉街道)である。あまり深く考えずにどんどん進んでいたら、東京と千葉の境辺りに来て、道路がなくなる。というか有料道路だけになり、原付二種では江戸川を渡れない状況になってしまった。やむなく迂回して市川のほうへまわる。京葉道路は有料なのだった。最初から蔵前橋通りから国道14号(千葉街道)の旧道へ向かえばよかったのだった。ごちゃごちゃした本八幡や西船のあたりを抜けて、津田沼付近からようやく広い道路に出ることができた。幕張に出ると計画都市ということがよくわかる。別世界なのである。
帰りは京葉道路方面へは出ず、蔵前橋通りからまっすぐ本郷へ。30分位はセービングできたと思う。
幕張では先週に引き続き、放送大学の面接授業受講だった。授業教室内に拘束されているときというのは、思考が活性化する。話を聞くことはもちろんだが、現在の自分の状況、いま何をしたいのか、どこに行きたいのか、何を求めているのかをよく考えられるのである。試験期間に人生行路を想う思考回路に似ているかもしれない。来週も幕張である。
前回不合格だったが、再度勉強して受験した。NHKのラジオ講座、テレビ講座と視聴し続け、この一ヶ月間は対策テキストも買って強化した。しかし、やはりレベルに追いついていない感じだ。試験翌日、サイトに模範解答が示され自己採点してみたが、厳しい結果となった。文法の選択問題がほぼ壊滅的である。単語力が足りない。しかし、発音問題と長文読解はほとんど満点に近かった。聞き取りはまあ半分くらいといったところ。前回よりは成果が出ている。しかし60%以上の正答が求められるので、46問中27問正解というのは、渋い境界線かも。採点率と全国平均によっては、よもや…ということもあるけどね。
検定のあと駒場へ行き、学園祭をうろつく。やっぱり学生さん若いなあ。18〜22くらいだものね、当然か、2まわり違うのだ。子供がいたらこのくらいという感じかも。東大生というより、第一高等学校だね。駒場は教養学部があるところで、1、2年の一般教養を学ぶところなのである。ぼくは事情があって3年いた。
国会議員の柿沢未途氏らのパネルディスカッションや応援部のパフォーマンスなどに参加。模擬店で食事。雨にならずによかった。
学生の頃に入り浸っていた喫茶店に寄ってみたい気もしたが、ほんのちょっとした勇気が出ず、先送り。心の準備ができたらまた訪れよう。
サービス集会で役割を一日やる。夕方終了。ミーティングに向かう。グループメンバーと分かち合い。北海道から仲間も来る。そしてまた場所を変えスポンシーと分かち合い。そのあいだも電話が複数。さらにメールが数人から入る。重なるときというのはこういうものだ。23:00ごろに返信などもすべて終了。阿佐ヶ谷からバイクで自宅に戻る。スクーターはギアチェンジがなく、すごくラクだ。比較的暖かい気温の夜で助かった。洗濯して風呂に入って就寝。表面上はほとんど提供してばかりの一日だったが、結果としては内面の自分の幸福をいただいているのだった。