ベスト盤の1を初めて買った。といってもぼくは大幅に世間から遅れているので、これを買って聞いてみて、初めて「これが『LOVEマシーン』という曲なのか」と知った程度である。ちなみに「LOVEマシーン」以外の曲はまったく知らないとわかった。とりあえずMP3のファイル化してマルチメディアカードに落としたので、MP3プレーヤに入れて持ち歩けるようにできた。
加護ちゃんとののたんしか知らないがこれから少しずつ覚えていこう…。
(モー娘のCDは、秋葉原のリバティーでは数百円で叩き売られているのである)
ついでにといってはなんだが、椎名林檎の「無罪モラトリアム」も買った。戸川純の再来と評されていることもあるようだが、プロデュースの仕方とか曲想が似ているだけで、二人の出している毒気は明らかに質が違うと感じる。純ちゃんはどう見ても「病気」をギラギラ出していたが、この椎名さんは健康的なようだし、ほくろから精気を吸い取ってくれそうである。少なくともあの歌い方は病的ではない…と思うが、どうか。
どうか、といわれても困りますかな。
「やるべきこと」は一段落した。昨日と今日で株や為替の損切をすべて済ませ、新しいポジションや安値株を購入して仕掛けを済ませた。完全に七月時点の状態にリセットされた感じだ。髪の毛ももうすぐ黒く染めなくてはならない。でもこれでまともな生活に戻れると思うと、ちょっとほっとする。
やることがなくて、下落合の図書館や新宿のジュンク堂、そして駅ビルやデパートを平日の昼にうろつくといった、これぞ夏休み!という時間がやっと訪れた。自分のたましいのことや、こし方行く末を思う。代々木公園あたりでタンクトップで日焼けして、文庫本を読みうとうとする。そんな夏休みがまだ過ごせる。9月1日までの渋谷までのJR定期券がまだ生きている。
株で大儲けや大損を繰り返していると、霊的に汚れていくという感じがする。それとまた電車賃を10円20円と節約したり、献金箱に入れる数百円はレベルがぜんぜん別のところにある。そして、毎月もらう賃金はまた別物だ。お金は数字だけのものではない。出入りに力と意思がある。
貯めたお金はまた別のもの。払ったお金は自分を造る。現金は血液だとある作家が書いていたが、身銭を切るともいうね。自分の時間を売るとか、本当に血液を売るバイトもある。これも霊的な要素はあるのだろうか。
ぼくは貧乏で吝嗇な父の血を受け継いでいるので、どう逆立ちしてもブルジョアみたいな気前のいい生活はできまい。ちまちま貯めてちまちま暮らすのが関の山だと思う。ただ、自分のいのちを救ってくれた仲間の共同体には、いくばくかの貢献はしたいといつも思っているのだが。
昼間大久保のQBハウスで髪をちょっと切った。黒染めまであと四日。短くしてみたら小僧みたいだ。うしろなんかはもう黒い毛がかなり前面に出ている。夏が終わるという感じが高まるね。
灼熱の毎日に比べたら悪くはないが、バイクも自転車も、ちょっと乗りづらい。いつ大雨になるかまったくわからないからだ。結局傘を持ってうろうろしている。しらふになって最初の夏(1994)が、今年に似て猛暑日の連続だった。まだ工事中だった井荻トンネルの横の環八・西武新宿踏み切りが渋滞してて、原付で渡るときに死ぬほど暑かったことを思い出す。仲間が「暑いとビールに気持ちが行くんだよなぁ」とよく言っていた。真夏の日々には要注意。
明日から北海道に旅行である。宿泊研修会。二泊プラスパックの一泊。帯広のあたりは初めてである。本当だったら電車か何かでゆっくり行きたいところだが、飛行機がはじめての仲間もいるので、羽田あたりからすこしエスコート。
北海道もすこし曇天模様だが、こちらよりは少しは涼しいかもしれない。
福岡の四日間を過ごして帰京した。毎度感じるが、実家はふだんの東京生活とは別世界である。20年近く子どもの頃を過ごしてきたこと自体、現実感がない。自分の力で生きてきたわけではないので当然なのだが、いま大人になって考えると、主体的でないというのはこういうことをいうのだろう。
東京に戻ってくると、自分の人生の舵取りは自分がほぼ全権を握っていることがはっきりわかり、自立の喜びがある反面、全責任が自分の掌中にあることがわかり緊張感が生まれる。どう生きるも自分次第なのだ。ろくでもなく生きていればろくでもない人生となり、真摯に努力と感謝の中で生きていればそれなりの報いがある。こういうことからも、神様は平等だということがわかる。過去は神様は不公平だとかなんだとか言って酔っ払った頭でわめいていたが、それは自分を省みなかったからに他ならない。
機会あるごとに実家には立ち寄りたいと思う。
● ami16 [ちなみに一風堂のベストアルバムはBOOKOFFで250円でした、ロック以外ではアニメ方面が多い中でアイドル系は小泉今..]