ちょっと大げさなタイトルかもしれない。しかし最近湧き上がる気持ちを書いてみたい。
人生にはいつも最適な答えが用意されている。それが自分にとって、以前から予測していたイメージどおりとは限らない。注意深く避けてきたものが突然現れたり、別の目的で続けてきたことが他の用途に役立ったりする。一年前、二年前にそのようなことを予測し得たであろうか。現実が立ち現れるたびに、神の意思はいったいどこにあるのかと疑いたくなることもある。状況が進むに連れ、ひょっとしたらこれでよかったのかもしれないと考えが変わることもある。
どのようなケースにしても言えるのは、他の人とのかかわりの中で解答が示されることが多いということだ。まったく違った角度からの、いっけん厳しいようでしかし客観的な愛と共感の中での意見は、大きく自分を動かすということである。そして思考は現実化する。常々考えている通りになっていくのも事実である。だから神の意思を知ることはとても大切なことだと思う。利己的で不正直な意思を持ち続けているとそのような人間になるからである。
他の人にできないが自分にはできること、他の人にはできても自分にはできないこと。これらを見極められれば、この世の中に自分が貢献できる役どころが見つかるかもしれない。特権や義務は大切にしなくてはならない。毎日やるべきことがあるからだ。それがすぐに役立たなくても、あるいは手が届きそうにないとしても、導きの手は必ず現れる。
ぼくはいろんな最近の出来事を通して、信仰を持てるようになったのかもしれない。見通しがつくようになったのはそのおかげと言える。