というわけで、為替もやめてしまった。損失がやはり大きくなってきたのと、こういう賭け事は「こころを汚す」し、ソーバーさえ危うくするように思うからである。
午前の外出中の損切決済45銭(NZD)が最後になるかと思われたが、先月苦しみぬいたCADを買い、ラストに賭けようと思った。しかしながら昼下がりはもち合いがつづき、スプレッドを超えてやっとこさぎりぎり水面に上がる始末だったので、50万ポジション・2銭のプラス(収益1万円)で決済。穏やかなラスト取引であった。
このプラス分は先日購入した年末ジャンボ33枚購入の代金と同じである。たとえ一億円が当たっても、たぶん仕事も自助グループもやめないで暮らすと思うよ。
放送大学の面接授業(スクーリング)で、久しぶりに東京世田谷学習センターに足を運んでいる。科目は「英語の基本」と「暮らしを支える材料」。英語のレベルはぼくはなかなか上がらないのだが、とにかく口に出して言うということが大事かもしれない。「材料」のほうはプラスティックについての勉強である。化学工学と言ってよいだろうか。知らないことを初めて知るのは楽しい。
世田谷学習センターは歩くと廊下がみしみしいうのだが、まるで長崎のグラバー邸の中にでもいるようである。木造のいわゆる昔の小学校の校舎のようだ。講師の方が由来として「青山師範」と言及されていたが、調べてみると第一師範学校(東京府青山師範)の付属小学校として使われていた校舎らしい。ちょっと隙間風が流れてくるのが冬はつらいが、落ち着いて勉強できる雰囲気というのはこういうのをいうのだろう。
駅から遠いし食事ができるお店も周囲にあまりない。でも学校のそばというのはそういうものだ。市の条例などで文教地区にはあまり遊び場を建設できないように規制されているところも多い。最近の大学町はそうでもないが、学校というのは本来はこうなのかもしれない。しかしバイクで環七から行けばアクセスはよいし、今回の講義は昼までで終わるものばかりなので、街に戻って昼食を取れば不便はない。
思い起こしてみると1993年に放送大学全科履修生として入学したときには、東京都内にはこの世田谷学習センターしかなかったように思う。だから登録センターをここにしていたし、試験もここで受けた記憶がある。多摩や文京など都内に次の学習センターができたときは、世田谷を東京第一学習センターと言っていたようだった。
休学期間もあったが足掛け17年の通信学生生活、昨年ようやく単位が満ちて卒業したが、今年からコースを変えて再入学したので、またも学生生活は続くのである。学籍番号の先頭は当初入学の年度が表示されるので、ぼくの学籍番号は93……で始まる。面接授業で番号順に出席を取られるときに、二番目か三番目に呼ばれることが多い。しかし一番や二番がいるということは、その人たちは1985〜92年の入学なのだろう。本当にこれが生涯学習たるゆえんだと思う。
年内の地球惑星環境学の実習がこの21日をもって終了した。論文をたくさん読んで、地震を発生させる応力やひずみの理屈を学んでいる。六月に城ケ島で取得してきたデータの分析だけでも結構な分量。年が明けたらまた再開である。