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奇跡の今日一日

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2016-07-12(Tue) 舛添さんの辞任について独り言 [長年日記]

_ 舛添要一先生はわたしが大学一年に入学したとき教養学部の助教授で、一般教養科目の「政治学」を担当しておられた。フランス政治がご専門で著書「赤いバラは咲いたか」を上梓されたばかりだった。もちろん著書は購入したし、授業も登録した。ご出身の八幡高校はわたしの出た小倉高校と隣の校区で、同郷の親しみもあった。現在もそうだが滑舌がよく、論理明晰で、授業も面白く、とくに当時の外交問題やSDI(戦略的防衛)の話がエキサイティングだった。

いろいろな政治活動を展開されてきた末に東京都知事となった。新党を作ったり自民党に利用されたりで、少し心配はしていたが、ご自身を守る力はじゅうぶんおありだろうから、われわれ一都民、一国民が心配するのは杞憂かもしれないと考えていた。しかしマスコミの包囲網は尋常ではなく、まるでお祭り騒ぎのように批判の集中砲火が始まった。些細な材料を取り上げて袋叩きにしている状況に見えた。気分の悪くなることわざで「川に落ちた犬は叩け」というのがあるが、まさにその通りの様相である。舛添さんは気丈にも「辞任は考えていない」と押し通していたが、マスコミの集団リンチによって退職を余儀なくされた。

わたしは猪瀬さんも舛添さんも優秀な政治家だと思っている。今もそうだ。古くは田中角栄もそうだった。しかし金銭問題でスキャンダルがあるとわかるやいなや、マスコミの徹底的な政治家つぶしは異常な執念を以ておこなわれる。中には「ちょっとやりすぎなんじゃ…」と思っている人も多かったと思われるが、多数が一人をいじめているときに「やめろよ」と声を上げるのはとても勇気がいる。声を上げた者も今度は標的にされるからだ。舛添さんを辞任させることに疑問視する声を上げたのは、堀江貴文くらいだっただろうか。

結局舛添さんは辞任して都庁を去ってしまった。マスコミに徹底的に翻弄されたと思う。クレヨンしんちゃんの本だとか、別荘地に出かけたとか、ファーストクラスを使ったとか、なんだか品のない材料を取り上げて、わざと庶民の反発心を煽る記事を書き立て、他の有名人に「せこい」とか「失望した」とか言わせていたマスコミってなんなのだろう。

わたしは今も恩師である舛添さんを尊敬しているし、その人格的価値は下がっていないと思う。むしろあれだけのバッシングを受けて耐え抜いたことで、強靭な精神力を見せてくれたのだと、強くたたえたいくらいである。逆に舛添さんを批判していた人たちに聞きたい。公私混同も贅沢も、あなたはまったくして来なかったし、いくら地位や権力が手に入ってもあなたは清廉潔白で精進できるとお考えなのですか??と。

ますますマスコミが嫌いになりそうです。


2016-07-22(Fri) 夏休み [長年日記]

_ 小中学校がこれから夏休みに入る。ぼくの最近は毎日夏休みである。退職してからの五年間は自分自身が学生だったし、退職前の数年も教えている学生がどんどん減って出勤日数もどんどん減っていたので、いつから労働日数が漸減していったのかよくわからない。それにしても45歳での早期退職は、ちょっと早期過ぎた気もする。自分で飛び出したわけではなく、状況的にそうなっていったのでコントロールの及ぶところではなかったのだが。

とにかくけっこう自由に生活している。生活の中心はお寺へのお聴聞とお参り、そして夜のミーティング。会社だけの生活から離脱した人だとこうはいかなかったのではないかと思う。自分には同病の仲間がたくさんいるし、その気になれば役割は山ほど見つかる。70代、80代でも元気に活動している人がたくさんいる組織はすごい。お寺に行くと人生の大先輩がぞろぞろいる。50になったばかりの自分が末っ子の犬のしっぽのようである。

時間があるとあくせくしないで済む。生きることに余裕が出てくるのがうれしい。時間に追われると心が亡びるという。忙殺という字がある通りである。20分、30分余裕をみて動く。ほとんど都営バスの定期券で移動するので、バスの始発から終点まで40分くらい乗っていることが多い。街角を歩く犬や人を窓から眺める。バスの中にはお年寄りがたくさん乗ってくる。年上の方が乗ってくると席を譲る様子がみられ、さらに年上の人が乗ってきてその人がさらに席を譲り、さらにヨレヨレのかたが乗ってきてさらに席が譲られ…というような光景をよく見かける。日本の社会も捨てたものではないと思う。

やっと一つアルバイトの面接までたどりついた。ひょっとしたら決まるかもしれない。なかなか仕事に就けないという仲間の話をよく聞いていて、ひとごとのように思っていたが、実際そのようである。四月から何十と履歴書を出し続けてきたが、なかなか引っかからない。したがって夏休みが続く。

青春18きっぷが発売されて、乗れる時期が来てしまった。結婚以来この切符を使っていなかったが、今年は関西や福岡にたびたび行く用事があるので、何年かぶりのムーンナイトながらとかに乗る予定。24時間あれば東京から福岡まで、各駅停車や快速だけで行けるのだ。こういうチャンスを楽しみながら過ごそう。


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