本日いろいろなことを考えている間に、だんだん核心めいたことに気づく。この世界の真理はすべて言語によって成り立っているのではないか…と。数学も論理も語学も物理も、なんらかの言語が記述している。私たちのもっているさまざまな理論も、言語なしには語れない。原理を手渡すときも、基本テキストとその解説が必要ではないか。基本テキストはずっと前からあったのに、説明する人が目の前に現れるまで、われわれは、なかなか気づけなかったことだらけではなかったか。
こういうことを書くと、まるでぼくがややこしいことをこねくり回しているように見えるかもしれない。しかし、人間が生きている限り、言語なしには思考することすらできないのだった。ひょっとしたらヴィトゲンシュタインとかあの辺の言語哲学の偉い人たちが、もうこんなことはとっくに明らかにしているのかもしれない。ぼくがいまさら気づいたって世界は何も変わらないのかもしれないが…である。