秋津の会場で「伝統」のスピーカーを頼まれ、話をしにいった。一ヶ月以上前からぼくが話をする旨のチラシまでできており、先月は先行く仲間が先鞭をつけてくれていたようで、少しプレッシャーもあったが、無事実行できた。
伝統の何番目という特定がなく、全体的にということだったので、自分のサービス経験をそのまま話した。打ち合わせどおり50分程度。これはなかなかのロングタイムだ。全国のフォーラムや、セミナーのラスト近くのコマでもせいぜい30分である。すこし声も嗄れ気味に終わったが、話題に困ったりすることもなくさらさらと話ができてよかった。そもそも毎日のように一時間半の授業を行なっているのだから、長い分には二時間くらいなら難なく話せるのかもしれない。
サービスや役割の話になるとどうしても先行く仲間にされた「仕打ち」や、誤ったのべ伝えに抗して、正当性を打ち出すスピーカーになりがちである。恨みが消えずに残っているとそうもなろう。実際そういう話をしてしまったときもたびたびであった。しかし最近他の仲間が自分のプログラムの正当性をがなり立てている醜い姿をたびたび見るにつけ、それは見苦しいことなのだと気がついてきた。人を批判して落とすことでは、自分の正当性は少しも浮上しない。それどころか批判すればするほどその人の品性も落ちるのである。今回のスピーカーは、そういったことにも気をつけながら、仲間に支えてもらってきたことに意識を集中した。そうするとかなり気持ちよく展開できる。実際口に出して感謝の念を話していくと、助けてもらっていたことがよくわかるのだ。これがやはりプログラムなのである。
聞いている人たちの層が、ソーバー数ヶ月の人もかなり見受けられたので、全体サービスの話まではあまり立ち入らず、グループの役割とせいぜい地域委員会のラウンドアップ担当だったときのことくらいまでにしたのも、よかったのかもしれない。設定してくれた仲間に感謝の念である。