久々の仏教ネタだ。今年に入ってから本願寺新報という月刊誌を購読している。築地本願寺が発行している刊行物である。ぼくは子どもの頃から親鸞上人が好きなので、関東に移り住むようになってからも、どこか檀家にしてもらえるお寺はないか考えていた。しかし一人暮らしなので定期的に法事をするわけでもないし、仏壇さえない。となると檀家登録はあまり意味がないかもしれない。自助グループの仲間が、ミーティングなどの縁で次々にキリスト教の洗礼を受けているのを横目で見ながら、やはりぼくも宗教の必要を感じているのであった。
京都の大谷本廟のこともここに書いたことがあったし、出かけた先で浄土真宗のロゴマークとも言える下がり藤を見かけると、とても懐かしい気持ちになる。小倉にいた頃、家族で真宗のお寺に行くと院家(いんげ・いわゆる和尚さんのことを真宗ではこう呼ぶ)さんがお説教をしてくれるのだった。盂蘭盆の話や殺生の話、また韓国や中国の仏教の話、生きていくのはどういうことかという話。世俗の野望・欲望にとらわれていた浪人時代などは、とくに院家さんの話はよく体に入ってきた。こころの洗濯でもあるのだ。題材は何でも良い。とにかく信心を思い起こし、院家さんに会い、お寺の中に身を置くということ自体が大切なのである。
最終土曜は築地本願寺で講演が行なわれる。参加者の平均年齢はざっと見て70歳というところか。ちょっと老け込みそうな気もするが、信仰として時折行ってみたいところである。おそらく日本で最も普及している宗派だし、掘り起こせば話の聞けるところはたくさんあると思われる。今回のテーマは念仏を広めよう…だった。恨みに恨みで対抗するな、とか、どっかで聞いたような話も満載だった。どこの世界でも落とし穴は共通なのかもしれない。