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奇跡の今日一日

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2007-12-10(Mon) [長年日記]

_ 「ものぐさ精神分析」〜岸田秀

-----勤めている学校で授業内で学生に書評を書かせているのですが、講師であるぼく自らも学生の立場に立つために、自分でも書いてみました。せっかくですのでその小文をWebでも公開します-----

=====タイトル長かったので修正しました=====

1984(昭和59)年、ぼくが大学受験に失敗して、やむなく高校付属の補習科予備校に通い始めたとき、現代国語の講師をしていた先生が、しょっぱなの授業でこの人の著作を取り上げたのだった。岸田秀。今はすでに70代の大学名誉教授である。この人の書くものはノンフィクションではあるが、作家ということでもない。しかし著作はたくさんある。ネットで調べてみると肩書きは「心理学者・精神分析学者・思想家・エッセイスト」とある。

予備校で先生が取り上げた岸田秀の著作は「ものぐさ精神分析」だった。この著作は岸田秀が世に知られるようになった代表作である。自身も「私の言いたいことはこの中に書いていることに尽きる」と表明している通り、彼の持論がすべて含まれていると思う。その後も次々と論文集などを発表しているが、内容は一貫している。角度や取り上げている素材が時代に沿って変化していくだけである。

岸田秀の思想は次のようなものである。「文化はすべて幻想である」「人間は本能の壊れた動物である」など。高校を卒業したばかりの十八歳のぼくは衝撃を受けた。予備校講師の配ったコピーはたった数枚で、文章のごく一部に過ぎなかったが、精神分析も文化人類学もまったく知識のないぼくにとっても、岸田秀の論理はとても明快で、分かりやすかった。そして衝撃的だった理由は、それまでぼくが教育されて持つようになった常識的な人間観が、根底からくつがえされたような感覚があったからだ。

代表著作である「ものぐさ精神分析」は、すでにメジャーの時流に乗っていたので文庫化されていて、あまり小遣いを持っていない受験浪人生のぼくでも書店で購入することができた。中公文庫刊だったと記憶している。福岡小倉のナガリ書店で買ったそれは、とても面白い本だった。講師が取り上げたコピーの箇所ももちろん出てきたし、当時のいろんな事件や社会構造が、岸田の論理にかかれば次々になぎ倒されていく感じが心地よかった。フィクション的読み物以外で、こんなにすらすら読めた書籍は初めてだった。

大学受験には今のセンター試験のような5科目の一次試験である「共通一次試験」があった。これは国公立受験者には当時必修で、理系受験をするにしても国語の試験は免除されなかった。また二次試験でも東大・京大は理系でも国語がある。現代国語の読解は常識的な文章理解ができればよいとされるが、やはり論理構造の複雑な文章が出題されることが多く、その点でもこの岸田秀の著作に慣れていたことは役に立ったと思う。

二度目の受験が終わって上京して、晴れて東京での一人暮らしが始まったのだが、岸田秀の精神分析やその考え方は、ずっとぼくの生き方に影響を与えてきたように思う。東京に来てからも数年の間は岸田秀の著作は読み漁っていた。別の論文を読むとまた新しい刺激や驚きが見つかったような気がするのだが、論理はいつも一貫しているという不思議さがあった。

岸田秀が教鞭をとっていたという和光大学の授業を一度受けてみたいと思っていたが、結局それは実行しないままであった。

「ものぐさ精神分析」の初版は1977(昭和52)年の1月に青土社から出版されている。およそ30年前だ。このころの世相はどうだったろう。オイルショックが終わり日中国交正常化、そして大平政権から福田政権に移ったあたりかもしれない。30年経った今、その息子の福田首相が政権を取っている。

精神分析の話は、古くて新しい問題だ。フロイトやユングのころから始まったカウンセリングは現代人にもニーズがある。岸田秀は自分を神経症だと告白している。苦しみから逃れるため、また自身で解決するために、いろんな論理を組み立ててきたのだろう。社会的事象の分析についても、ちょっと視点を変えるだけでいろんなことが説明できるようになる。岸田秀の著作が注目されたのは、その精神分析手法がただ単に精神神経科的な治療目的の分野にとどまらず、社会一般に鋭いメスを入れたからに他ならない。

論文の中には黒船到来や第二次世界大戦のことも出てくる。岸田本人が南洋での日本人軍人の戦死写真を見て、大きな衝撃を受けたこともかかれている。軍歌「海ゆかば」を聞くたびにその風景がよみがえり泣けてくると言っているが、そういう直接的な感覚がじかに伝わってくるのだ。

中でもぼくが共感したのは「現実我」と「幻想我」の比較の話だ。誰もが青年期には「こんなものは本当の自分ではなく、仮の姿だ」と思う。知識や想念は成熟してくるのに、現実の生活や経験はまだ子どもの延長だ。そしてそれが5年先、10年先は自分がどうなっているのかわからないという「不安」のおまけ付きである。精神不安定にならないわけがない。それで「幻想我」を組み立てて、今の「現実我」はそれに近づいていくための、途中経過であると自分を納得させる。そういう趣旨だったと思う。ここには近代哲学のアイデンティティの問題も含まれている。

バブルがはじけ多くのフリーターを生んだ現代の格差社会を岸田秀は予言していたのかもしれない。会社員や正社員であったとしても、不安に突き動かされ、現実から逃れようとする。これらのことは岸田秀の論理を持ってすればみな説明できるのである。

どんなに暇に見えようとも「ぼくのひまは、ぼくが必死に求めて手に入れたひまなのだ。だれにもそれを利用させない」という、ものぐさの骨頂を主張した小文もあった。そうした人間臭いところも岸田秀の魅力だろうと思う。

文・編集 森田泰彦(講師)


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