大学院の毎日が始まって一か月が経った。学部のときと同様に、大変忙しくやることが多いうえに、メインキャンパスが本郷から柏に移ったことで、通学にも時間がかかるようになった。月、火、木は柏で新領域創成科学研究科の授業と研究室のコロキウムや論文講読など、水、金は本郷(理学系研究科)と弥生(地震研究所)での授業である。学部生のときには大学院開講の授業を受けることができなかったが、大学院生になると学部と院の両方の授業を受講可能である。
柏キャンパスでは他大学の出身者が多く、物事を多角的にとらえることも要求される。実験室で作業することも多いし、自分のやることを計画的に進めなくては、雑事に埋もれて研究を見失いかねない。自由な分だけ、努力の水準も上がっている気がする。
一か月いろいろとタームを回して、連休中は横浜で地球惑星科学連合の学会もあり、先生方も含む優れた発表者たちのプレゼンを聞くことができて、良い刺激が多かった。連休が終わってからまた日常の授業と研究に戻る。使える時間が非常に限られているのを感じる。できることは尽くそうと思う。
この学業に復帰するのに何段階も助走をつけてきたことを思い出す。2008年に全体サービスの役割が終わり、何かをスタートしようと目論んでいた。新しいグループを始めたのもこのときだったし、放送大学の全科履修生としていろいろな教科書を実際にお金を出して開いたのもこのときである。仕事はまあ現状維持といった感じだった。学園は経営が行き詰りつつあったし、労使交渉も難航していたのだった。放送大学でTV番組で学ぶだけだったらあまりモチベーションは上がらなかったかもしれない。面接授業で10数年ぶりに学芸大学の学習センターに行ってみたことがよいきっかけとなった。茗荷谷の筑波大学や小平の一橋大学も放送大学の校舎として使われていた。大学に体を運ぶと血が騒ぐのかもしれない。カルチャーセンターにも興味があったが、学府はやはり違うのである。
秋になって中曽根康弘元首相の講演があるということで、何年かぶりで本郷キャンパスを訪れた。世論の評価では賛否両論のある人だが、名士には違いないし、自分は政策はともかくとして、この人の雄弁さとパフォーマンスは好きだった。このイベントはホームカミングデーという卒業生の同窓会のようなものだった。他のゲストだったら行かなかったかもしれない。講演を聞き、元首相をライブで見られたことに感動して帰路についた。本郷近辺を散歩した。アルコールから離れて10年以上たっていたので、昔飲んでいたアパートの外観くらいは見ても悪くないと思った。五丁目にはまだあの壁の赤いアパートが残っていた。古い銭湯もお寺も酒屋も。いろんなことがよみがえってくる。
自分はしらふでやり直しているということを痛感し始めた。そして今なら何かまたできるのではないかと思った。ドイツ語検定を試しに受けるため慶応の日吉にはじめて行った。検定は五級から始めた。しかし三級まで来てなかなか突破できない。放送大学の単位取得を進めていきながら、語学や各種検定などいろいろ並行して手を出していった。最初のTOEICが380点しか取れなかったのはショックだったが、繰り返しているうちに少しずつスコアがアップしてきて、上り坂を進むのは楽しい。ドイツ語検定も苦労の末、三級に合格した。そして放送大学の単位が揃い、卒業できた。勉強ってやはり楽しかったのではないか。それを思い出せたのだ。
2010年、2011年となり、いよいよ経営難で仕事を失うことになった。最大のチャンスだった。ふつうは収入がなくなるのでピンチととらえるのかもしれない。仕事があるのにわざわざ辞めるのは不利だし逆風にもなるが、会社都合で辞めるとなれば自他ともに対して言い訳ができるし、退職条件や失業給付も決して悪くない。仕事があるとフルタイムで大学には行けないということばかり考えていたから、このチャンスで大学入学だと思ったのである。
ただ、復帰は簡単でなかった。学士入学にトライするが次々に落とされる。農学や教育学、さらに、はるばる京都大学まで受けにいったが、見事に全部落とされた。そんな落ち込みの中で、昔の恩師が研究生として迎えてくれたことは、本当に厚情に感謝したい。しかしそこからが苦労のスタートで実力がなかなか伴わない。工学系研究科を受験したが不合格だった。要は英語力である。およそ20年ぶりに取り組む英語にはまったく苦労した。何回TOEICとTOEFLを受けたことだろう。英検も徹底的に基礎からということで、なんと4級から始めた。聞き取れないのである。小学生たちと一緒に検定を受け、なんとか二級までクリアした。研究生の間に徹底的に数学と物理、化学を復習した。そしてようやく2012年に理学部に入れたのだった。
学部に入ってカリキュラムに乗ってしまえば、あとは他の学生たちと一緒に泳ぐだけである。学問は荒波だと思う。手を抜いて浮かんでいては、どんどん流され溺れてしまう。とにかく泳いでいなくては先に進めない。理学部三年次、四年次と必死に泳いだ。論文にも短い間だったが取り組んだ。なんとか期限に間に合った。必死に泳ぐと定期試験も大学院入試も、それなりのレベルに達することができる。わかると面白い。授業中に先生が学生にときどき質問するのだが、それにときどき答えられる自分に気が付いたときに、これなら行けるという気がした。そして今がある。
チャンスとタイミングを逃さず、必死についていく。それでなんとかやっていけるだろう。生活や収入は当面二の次だがそれもやむなしであり、支えてくれる家族や友人に感謝したい。