今年も沖縄の歴史を勉強している。大宮で面接授業である。
この夏場に沖縄の話というと、やはり戦争体験である。今回の授業では繰り返し地上戦の話が出てくる。集団自決や殺戮。ぞっとするような話がたくさん出てくるが、みな現実である。老いた人びとの証言は生々しい。
自分の戦後は平和の中にあったのかもしれない。小倉は被爆候補都市だったが、天候の運命で長崎に矛先が向かった。たまたま生き残れた自分の父母は運がよかったのかもしれない。
暗鬱な気持ちになることも多いが、現実は直視しなくてはいけない。
常任理事の任期を終えた鹿児島の仲間ががんの宣告を受け、しかも末期ということで大変心配していたが、冷酷なことに病気は粛々と進むばかりだった。亡くなった日の朝、うちの今年の朝顔の最初の花が開いていた。彼のスポンサーから訃報のメールをいただいていたのだが、たまたまネットにつながる環境が夜までなくて、知ったのはぼくが北九州の実家のそばのモスバーガーでPCを開いたときだった。病気を宣告されたのが6月23日らしく、ぼくが彼と電話で話したのが6月25日、鹿児島に会いに行ったのが6月30日、こん睡になっているのがわかったのが7月7日、そして7月11日に帰らぬ人となってしまった。宣告から亡くなるまでわずか19日。あまりにも早かった。
しかし、70歳の誕生日を迎え、ソブラエティ20年を迎え、あわてず騒がずにこやかに人と接していた。身辺を整理し、遺品だと笑って言いながら愛用品をいろんな仲間に分けていた。励ましに行ったつもりが、本人は落ち込んでなく、逆に食事までごちそうになってしまった。一緒に食べた最後のシロクマ(ミルクかき氷)、ぼくは忘れずにいつづけるだろう。
● 吉田和夫 [やるべきことをやったと思うことは自分の力だけではないことと思います。]