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奇跡の今日一日

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2016-12-10(Sat) アルバイト

_ 大学院を満期で中退してから仏教ジャンキーを続けていたら、あっという間に半年が経ってしまった。いつまでも無職のままでいるわけにもいかず、かといってこの年齢で飛び込みで正社員に採用してもらえるほど世間は甘くはない。じっくりと中途採用のある教育機関を探しながら、とりあえずは時給の生活でもいいから働きたい!ということでいくつかの口を応募し続けてみた。バイトと言っても大学や専門学校とかを重点的に探していたのだけれど、そうすると経理や秘書の仕事が多くて、大学側はたいてい若い女性を求めているのである。しかし男女雇用機会均等法とかがあるため募集要項に「女性に限る」とか「30歳前後を採用」とか気軽に書けないらしい。あるいは逆に「TOEIC800点以上」とかすごいハードルを設定しているのに時給980円とかで、そんなうまい話ないでしょ、採用担当さん!って感じのものが多い。いろいろえり好みしながら折角なので四年間理学部で勉強した地球科学関係の仕事がないかと探していたところ、あるとき海洋深層水を用いた環境保全の講座で技術補佐員を募集しているのが目に留まり、応募したら採用してもらえた。キャンパスは東大の弥生だし、博士号が必要とか英検一級とか研究職レベルのスキルは要求されないようで、さらには、入ってみたらいい人ばかりで、自分は良運に恵まれているなあと感じ入っている。任される仕事がホームページ作りだったり研究室の整備だったり掃除だったりと、自分の得意なことをよく頼まれるので、これも心地よい。あわてて地質ボーリングの肉体労働会社や、夜何時まで働かされるかわからない競争的学習塾に飛びついて就職しないでよかったと思っている。

非常勤で有期雇用のアルバイトだけど、フルタイムパートでまあまあお金ももらえるし、予算がついて仕事の成果を認められれば数年は更新がされる可能性もあるし、良いアルバイトにたどり着けたと思っています。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]
刈谷Gひろ (2016-12-12(Mon) 06:24)

アルコホーリクの45歳の男です。ソーバー5年です。あ
嬉しい報告があって、どっかにぶちまけたいと色々探してここにたどり着きました。

私には、色々な恨みがあります。
AC でもある私は、親方への恨みをはじめ、仕事への恨み、不況という時代へも恨み、格差社会への恨み、男女関係への恨み、お金への恨み、自分の身体への恨み、様々な恨みがあります。

ビックブックには、『第一の犯人は恨みだった』と書かれています。
恨みの根底にあるのは恐れだと思います。

二十代は、仕事に対しての恨みがつのっていったじきでした。
初めは、正社員で働いていました。
ボーナスを貰ったときに、こう思いました。
『自分はこんなにお金をもらってはいけない人間だ』と。
なぜかはわからないが、そんな風に自己評価の低い人間でした。

その会社は転勤が半年毎にあって、嫌になって辞めてしまいました。
それからは派遣会社や期間社員で働くようになりました。
初めは頑張って、リーダーになって10十数人の連絡係をやったり管理者に抜擢されたりしました。
抜擢されたところで、不況の波が押し寄せてきました。
管理者の話しはなかった事にと、上司から告げられました。

そこからは地獄の始まりです。
リーダー手当てのカット、夜勤の深夜手当てカットや残業割増のカットという法的違反、ボーナスもない昇給もないところに減給もあり、明日の生活も心配な日々が続きました。
法的違反、契約違反を武器に、あたった一人で会社と闘っていました。

AC ですから、生きづらさを抱え半鬱状態で働いていましたから、あっという間に酷い鬱状態になっていきました。(この辺は、アルコールも関係してると思います)
そして、闘い半ばで八年勤めた派遣会社をあ退社していきました。

1年半の休養のあと、再び期間社員で勤める事にとなりました。
時給制でボーナスなどはありません。
正社員からは、『余計なことをするな‼期間社員は言われた事だけやってりゃいいんだよ❗』と怒鳴られた事もあります。
そんな感じで、会社への恨み、正社員への恨みを感じていきました。
正社員登用試験はありましたし、正社員になれば給料も上がるのに、正社員になんかなりたくない、会社に貢献したくない思いの方が強かったです。

40歳で底を着いて、AA に通うようになりました。
4年ソーバーの昨年、恨みの根本である親に会いに10年振りに里帰りしました。ステップ8&9ってわけですが、埋め合わせは何もできずに顔だけ見せに行きました。
私は親を許し、親も私を許してくれました。
親はこう言いました。
『 うちらのことは 気にせずに、むこうで正社員になって頑張ったらどうだ?』
そんな言葉を親からもらい、正社員になりたくないという気持ちと、埋め合わせというステップの狭間で揺れ動きながら正社員登用試験を受けていきました。

正社員登用試験は半年に1回あって、倍率は10倍率以上の自分にとっては難関。500人受けて合格するのは、30名~50名です。
1回目は不合格でした。
また、正確上の欠点が出て、
自分はダメな人間なんだとひどく思いながらも、それを神様にゆだね、試験勉強を重ていきました。
面接試験では、言葉や正社員の考え方を学ぶのが重要だと思い、期間社員のグループから抜け出し、正社員のグループに近づいていきました。

そして2回目の社員登用試験、合格いたしました。
大きな会社グループの一社に45歳で正社員になれました!

今年の年末年始には、また実家に帰ってよい報告ができます。
これもステップ8&9の一つでしょう。
そして、20年続いた派遣社員や期間社員が終わろうとしています。
あ仕事への恨みが無くなるかもしれない・・・まだ、わかりませんが・・・

ある人に聞いた事があります。
『僕は、ボーナスを貰ったときに、自分はこんなにお金をもらってはいけないと思ってしまいます。どんな風に思えばいいのですか?』

『それはね、感謝だよ!』



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