生まれて初めての青森訪問。正確に言うと20年くらい前にJRで津軽海峡線を通過して青森県は通っているのだが、車窓の風景すら記憶にないくらい当事泥酔していた(笑)。したがって実質初めての青森県訪問となる。日本航空JALで青森空港を利用。目的地は弘前大学内にある放送大学青森学習センターである。面接授業の科目は「炎の津軽学」である。Tsugaru culture of fire.といったところか。さまざまに記述される津軽文化を、炎の燃えるごとく激しく魅せるといった授業である。
知らない土地のことといったらとことん知らないものだ。ねぶた、津軽塗り、弘前藩、三味線…といったトピックス。豪華なことに8時限の授業すべての講師が別のゲスト講師リレー講座であった。非常にステレオタイプな青森の知識しかない自分は、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」や松村和子の「帰ってこいよ」くらいのイメージしかない。歌詞の中に出てくる御岩木山、龍飛岬くらいしか知らないのである。
街中のマンホールのふたに「卍(まんじ)」のマークがある。寺町だからかなあくらいに思っていたが、どこまで行っても卍の連発。授業の中のねぶた絵の披露の際に、背景に卍の連発。講師の方が、これは津軽為信公です、と言ったときに、卍は津軽藩の家紋に違いないと推理した。弘前駅前の市章の説明文の中にも卍。どうやら推理は当たっていたようである。
弘前の街は古い情緒がある。水戸や前橋に似ているかもしれない。弘南鉄道という路線が走っている。川に沿って走る単線である。
弘前大学の中に放送大学の学習センターがあり、土日ではあるが周囲には弘前大学の学生が溢れていた。自転車に乗っていたりジャージでうろついていたり、都心の学生とは違って健康的である。
授業ののっけから津軽三味線の披露。プロの演奏家による演奏であった。あいや節、じょんから節。じょんから節も新節、旧節があり、ぜんぜん違う。リズムと強弱、目の前でのバチ捌きにはとても臨場感があった。
津軽藩の旗紋蔓字「卍」は津軽藩祖為信公の読書疲れの霊夢に出た神人二人との問答に由来す。
「 為信公或日閑窓の下に読書し給ひけるに、知らず知らず机上により御眠りし給ひけるに、容貌昴然たる神人二人来りて、色々問答ありける中に、公の年頃御心に秘する処の大望、時己に到れり疾く思ひ立べし。而して今より旗の紋には、卍字、馬印には錫杖を用ひられなば、征伐心の儘に勝利あるべしと、見て夢は覚めたりければ、是より此の霊夢に感ずる処ありて、此二ツを用ひられ給ふ。」
「津軽歴代記類上巻」